5.緩和病棟へ,そして臨終(2015年3月25日~3月31日)
 
 家内は自宅療養を断念して,自らの意思で緩和病棟に移り緩和治療のみ行いましたが,苦しさに耐えきれず1週間後の3月31に他界しました。(28日から31日臨終までの3日間が悲しさのクライマックスでした。30日に眠りに落ちた妻は24時間後に他界しましたが,がん患者の最後の姿は残酷であり,短歌で表すには難しすぎました。
散る前に最期の桜見せたくて 緩和病棟の部屋の窓より 3月25日
やつれいく己が身気にしてしょんぼりと 友を呼べぬと社交家の妻 3月25日
頑張れと言ってはならぬ末期がん「よう頑張らん」と妻は言いし 3月26日
頑張れは治る見込みのある人に 余命短い妻には言うな 3月26日
言えるなら「頑張らんでも良いんだ」と 病に苦しむ妻に言いたや 3月26日
我が身よりマッサージするこの吾に気遣いしし妻不憫でならず 3月26日
「頑張れと」言いし己が心には”未だ逝かないで”の願いがありて 3月27日
看護師に迷惑かけじと倒れたる わが妻の介護出来ぬは惨め 3月27日
子のいない夫婦二人の我が家では 頼りない夫に頼るしかなし 3月27日
その時に備えて礼服買い求む介護疲れで痩せすぎし吾 3月27日
パッと咲きパッと散り行く桜花 妻を迎えに咲き初(そ)めにしか 3月27日
ぬばたまの長髪落としわが妻は死期を悟りか旅支度せり 3月28日
床に伏し自力で食事出来ぬ妻 薄粥2口食べるが限度 3月28日
「情けないこんな姿になってもて」涙浮かべて妻が応えり 3月28日
苦しげに荒い息して眠る妻何もできない己が悲し 3月28日
がん末期体力無くて声も出ず感謝の気持ち合掌でせし 3月28日
口を利く体力無くて目で合図 言葉なくても判るが夫婦 3月28日
末期がん苦痛に耐えて頑張りし生きる気力は亭主が思い 3月28日
他人には「優しい夫」と言いし妻一度でいいから吾に伝えて 3月29日
優しいと言われし吾はさにあらず 優しき定義如何なるものか 3月29日
病弱の亭主気遣い逝けぬ妻「死んで良いかと」同意を求む 3月29日
わがために生きてほしいと思えども「もう死んで良いか」と妻が言う 3月29日
「なぜ生きる」吾に問いしも答え出ず「情けないわ」と悔みたる妻 3月29日
がん細胞膵臓だけで足らぬのか頭の中まで攻め来たりして 3月29日
耐えたのにやさしく言われ出る涙介護疲れの老いたる夫 3月30日
病から眠りに落ちしわが妻に語りかければ涙で応えし 3月30日
声掛けに涙で応じし臥す妻は眠りに落ちても意識はありや 3月30日
主治医には吾への感謝述べた妻 残されし吾心配もして 3月30日
うら若き女医に送られホスピスに妻を残して出ずる老人 3月30日
悪口に反応したか薄目開け吾の姿を最後に見たり 3月31日
「もう良えで」頑張りすぎた妻に言う それ聞き安堵涙で別れ 3月31日
家内への最後の言葉「もう良いよ」「頑張らんでもわれ大丈夫」 3月31日
「さようなら」最後の言葉言えぬ妻開いた目から涙一筋 3月31日
病床で肩で息する家内の手 呼吸止まりて冷たくなりぬ 3月31日
強い妻弱ごと言わず冷静に同意求めて一人旅立ち 3月31日
辛くても口には出さず頑張って頑張り切れず妻旅立ちぬ 3月31日
苦しさを亭主のために我慢した妻を看取りて吾れ涙する 3月31日
わかくさの春待てずして逝く妻は苦しさ去りて静かに眠る 3月31日
桜花よりなぜ散り急ぐ命花 待てと言えずに妻にも聞けず 3月31日
病弱のわれを残して死なれずと 言いおりし妻先に旅立ち 3月31日
大川の両岸さくら満開に 部屋の窓から見られしものを 3月31日
66歳で人生劇場幕を引きカーテンコールに姿見せれず
 私は眠っている家内の顔を見て「起きろや。」「家に帰ろか。」と言ったが反応は無かった。
3月31日
”早よ帰ろ”返事ない妻わが家(いえ)に入れぬ妻は眺めるだけで 3月31日
妻を連れ涙で見えぬ我が家路 庭の桜も妻を迎えし 3月31日
安らかに眠りし妻に「おい起きろ」言いしさみしき霊安室で 3月31日

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