2019年9月30日(月) 入院と手術
今回の入院にたいして多くの方から励ましのコメントを頂きありがとございました。

昨夜は22時に就寝したが3時間で目覚めて眠れなかった。
今日は9時前に病院に入りました。
病室は個室が取れず4人部屋となりました。仕方がないですね。

11時過ぎに看護師に連れられて手術室に入りました。
そこには泌尿器科の手術なのに腎臓内科の担当医師までおられ心強くなりました。
手術時間は1時間半の予定で色んな装置がつながれました。
そして初めて手のこうに点滴をされましたが麻酔が入っていたのか手術がほじまりました
私は麻酔が効きにくい体質なので怖かったのですが大丈夫でした。
でも局部麻酔なので医師の声が聞こえ気持ちが悪かった
手術は無事終わりました
2019年9月29日(日) あすから入院
  明日は妻の54回目の月命日です。
 妻は2015年2月18日に自宅を出て総合医療センターに入院しました。そして、3月31日帰らぬ人になってしまいました。
 私も同じ病院に入院の為に明日自宅を出ますが、絶対に帰ってきます。自宅では写真の妻が待っているからです。

 妻の命日には一心寺の妻のお骨仏に会いに行くのですが、先月に続いて今月もお参りに行けません。また、妻が亡くなって以来生花を欠かさずお供えしていましたが、今回は3週間留守にするので花はありません。
 でも、ボヘミアングラスの花はずっと咲いています。

 明日は泌尿器科に入院し、その日にシャント手術を行います。一般的には、その日は入院して明くる日退院が普通のようですが、私は浮腫が酷く、味覚障害もあるので入院3週間と言われました。透析のない日にはリハビリも行って貰い、もう暫く自宅で1人暮らしが出来るようにして貰います。
 味覚障害が治ったら、食事制限は付きますが美味しいもの(鰻重、にぎり寿司、松阪牛の肉じゃがなど)食べたいと思っています。

 昨年の入院中もそうだったように、このブログは病院からの発信するつもりです。(その気力が沸けば)
 作成は苦手なスマホで行いますので、コメントの返信は出来ませんが、必ず目を通します。

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2019年9月28日(土) 入院の準備
 一昨日に30日からの入院が決まったので,一番先にに連絡しました。私の場合の必要連絡先は弟しか居ないのです。そして,入院手術となると不安感が大きい(妻は何度も手術したが強かった。)ので誰かと話がしたく大阪市内に住んでいる護念会(大学時代の同級生の会)の親友に電話をしました。彼はこれまでの私の体調をよく知っており,「入院をすることになった。」と言うと,彼は「見舞いに行くわ。」と言ってくれました。
 私が入院しても誰も見舞客が無く,見舞客と団欒している人を羨ましく思っていました。昨年の入院時には野鳥撮影の友達に,病院に来てくれるように頼みましたが,今回はその人の奥さんが病気なので頼めません。妻さえいれば,毎日来てくれるのですが,残念ながら私が見舞いに行ってばかりでお返しはありません。私は心の中で親友が見舞いに来てくれるのを期待していました。

 昨日は体調がますます悪くなり,体が怠く非常に眠いのです。しかし,病院からは入院時に持参するように言われた書類を区役所まで貰いに行かねばなりません。13時過ぎから自転車で区役所まで行くことにしましたが,自転車に乗ろうとすると脚が上がらずペダルまで脚を上げるのに苦労しました。
 歩く場合は杖をついて歩くようになり,自転車に乗れなくなると私の生活は成り立ちません。やはり腎不全が末期状態となり私の体は限界に達して透析が必要になったのを感じました。
 何とか自転車に乗り転倒しないように区役所に行きました。先ず,総合案内で書類を貰う窓口を聞き保健課に行きました。人工透析は特定疾病となるのでその認定申請書を貰いました。人工透析の費用は高価と聞いており,この認定を行わないと私は支払いが出来ません。
 次は人工透析を行うと身体障害者となるので保険福祉課へ行きました。ここは妻の身体障害者手帳の申請に行ったことがありますが,まさか自分のために障害者申請を行うとは思っていませんでした。

 区役所からの帰路でスーパーに寄り,パンやモズクなどを購入しましたが30日から約3週間入院するので,いつものような大量買いは出来ませんでした。
 15時頃に自宅に戻り,当分整形外科医院に行くことが出来ないので,体調が悪いのを我慢して杖をついて16時に自宅を出ました。いつもの同じ時間なのに待合室は患者(殆ど婆さん)で溢れており,診察番号は15番となりました。待ち時間が長くイライラしながら診察を待ち腰への注射だけでリハビリもせず帰宅しました。

 昨夜は姫路に住む護念会の親友と1時間以上話をしました。彼の奥さんは殆ど寝たきりであり,家事全般を彼が行っています。親友の中では,彼が一番私を理解してくれ,いつも長電話となります。
 そして,24時過ぎに眠ろうとしたのですが,気持ちがいらついており寝付けません。精神安定剤を服用して午前3時前に眠りました。

 今日は10時前に目覚めたのですが,昨日よりも体調が悪く起床できません。今日は入院の準備をしようと考えていたのですが,頭痛が酷く辛いのです。
 やっと15時過ぎから入院の準備をしました。3週間の入院を考えると着替えが沢山要ります。妻が入院中は,私が毎日洗濯物を持ち帰って自宅で洗濯していましたが,今の私には頼る人がいません。弟には出来るだけ世話にならないように考えています。
 病院で洗濯できるのか判りませんが,肌着は5組,パジャマは2組(病院ではレンタルもあるので)を用意しました。これらは,いつ必要になるのか判らないので新品を保管していました。その他のタオル,洗面具,携帯充電器,シェーバーなどは明日キャリーに収納します。
 病院から入院時に持参するようにと渡された入院許可書,手術同意書などを記入する必要がありますが,体調が悪いので明日記入することにしました。
2019年9月26日(木) 恐れていた事態
 今日は総合医療センターの10:00からの腎臓内科の診察日です。9:35に診察受付を行い9:50に診察室に呼ばれました。医師は私の血液検査の結果を見て,もう限界なので人工透析を行って下さいと言われました。先月のCre(クレアチニン)の値が7.8だったのですが今月は8.8(8以上が限界値)まで上がっていました。この3ヶ月ほどでCreの値は鰻登りに上昇しており,それに比例して私の体調も悪くなっていました。人工透析は私が一番恐れていたことで食事制限を頑張ったつもりでしたが駄目でした。医師は簡単に人工透析と言いますが,私には週3回の人工透析は嫌なのです。

 私の現在の味覚障害腎不全に関係がありそうだし,体の浮腫は腎不全が原因とのことです。浮腫が取れれば歩くのが楽になり,転倒が少なくなるので近場の野鳥撮影や花の撮影が出来ると思います。味覚障害が治れば塩分制限は付くものの美味しく頂けます。
 浮腫が酷いので即入院と言われたのですが,妻が居ないので入院準備は私が行う必要があり入院日は妻の月命日の30日(月曜日)となりました。9:30に入院して昼前から透析用の血管を取り出す手術を行います。恐がりの私は血など見たくないのです。
 時間が取れない人は1泊の入院で帰ることもあるそうですが,私には色んな問題があるので3週間の入院となりました。その間に,必要であれば味覚障害の治療および,筋力低下により歩行困難なのでリハビリも行って貰います。

 手術日が決まったので事前検査として肺のレントゲン撮影と心電図検査を行い,手術は泌尿器外科の担当となるので担当医師の診察・説明もありました。利き腕ではない左手に手術しますが,腕から血管が取り出せるのか判らないと脅され?ました。
 次は検査結果を見るため再び腎臓内科の診察がありました。そして,肺に少し陰があり水が溜まっているようで,心電図では不整脈がないもの波形に異常が見つかったので入院中に詳細を検査するとになりました。歳をとると至る所に異常が見つかるのですね。それにしても大病院は色んな科があり検査結果が直ぐにわかります。
 やっと検査と診察が終わったのは12:30でした。14時より看護士による入院手術の説明があり,会計を済ませて病院を出たのは15時過ぎでした。

 今日は11時より泌尿器科の診察が入っていましたが,医療センターで時間をとったので遅れて診察を受けました。医師(親戚)は以前より人工透析を勧めていたので,私が30日に手術して人工透析が始まると話をしましたが別に驚きもしませんでした。私は,退院後から行う人工透析の病院を紹介してくれるように頼みました。

 薬局で薬を貰い帰宅したのは16:30を過ぎていました。私が10年以上の間恐れていた事態が起こりました。人工透析により週3日でも,体調的に楽な日が送れれば幸いです。それにしても3週間の入院は長いですね。私は10日間以上入院したことが無いのに精神的に耐えられるでしょうか。昨年の入院は4人部屋だったのですが,眠れずトイレに困ったので今回は個室に入ることにしました。病室が空いていればの条件ですが,3週間トイレ付き個室に入院すると50万円を超えるのです。保険など入っていない私には痛手です。老後の預金2000万円には入院など含まれていません。
2019年9月25日(水) 今日も転けた
 昨日は約束の11時前に”東部地域統括支援センター”の人が自宅に来られました。支援センターは地域住民の心身の健康維持や生活の安定,保健・福祉・医療の向上,財産管理,虐待防止などさまざまな課題に対して地域における総合的なマネジメントを担い,課題解決に向けた取り組みを実践していくことをその主な業務とされていました。(これはNETで調べた内容です。)

 来られた方は社会福祉士で私の介護保険申請に対して状況を聞きに来られました。私は現状を説明して自宅の手摺り(トイレと風呂)取り付け,掃除,買い物援助などを行って欲しいと話しました。今日来られた方には私の希望および現状を話しました。支援センターから大阪市認定事務センターに申請書を作成して貰います。それから認定委員の認定調査が行われ,主治医に意見書書いて貰い専門家が審査して等級が決まります。
 今日来られた方は”要介護1”ぐらいの認定が欲しいと言っていますが,私は多分”要支援1”位だと思います。ここまでの流れで約2ヶ月を要するとのことですが,それまで私がもつかです。
 介護認定されるとケアーマネージャーの人が”ケアプラン”を作成してやっと介護サービスの利用が出来るようになるのです。支援センターと自宅向かいの病院と連携をとっているようですが,介護サービス事業者は沢山ありケアマネのことはさっぱり判りません。次回訪問時はケアマネと一緒に来て貰えます。
 デイサービスの車がマンション内でよく見ますが,かなりの老人ばかりであり私は嫌です。今のところ,通所リハビリテーションに通って普通に歩けるようにしたいのです。
 ああ,私も健康寿命が過ぎたと情けないです。

 運動しないと運動不足による筋肉の低下が止まらないので,久しぶり(今年2回目?)にプールに行くことにしました。プールでは水中ウオーキングを行い体の調子を見ましたが,以前と変わらないので45分のアクアビクスも行いました。水中では転けても怪我をしないので安心です。
 プールからの帰路で,これも久しぶりに整形外科医院に寄りました。医師よりは脚力の回復は歩く以外無いと言われ,腰と膝へ痛み止めの注射を行いました。そして,リハビリですがこの整形外科リハビリでは脚力の回復は望めません。当分散歩の回数を増やし脚力を付けないと。

 医院からの帰路は普通に歩いて自宅まで10分程度です。帰路の遊歩道には10段足らずの階段があるのですが,脚が疲れて脚力が無くなったのか前方(上り)に転倒して右膝を痛打しました。打撲傷だけで大きなげがなかって良かったです。何度も歩いている道なのに。

 今日は総合医療センターでの事前採血日です。時間指定は無いので10時に起床して11時に出る予定をしていました。携帯(ガラケイ)で時間をセットしていましたが8時にトイレに行ってからでぐっすり眠ったのかアラーム音(最大)が聞こえず,その音に気付いたのは10:05でした。耳まで悪くなってしまい大きな音でも聞こえなくなりました。
 そして,今日は強制的に起こされたので非常に眠く起床できず,やっと11時過ぎに起きました。採血のため食事抜きなので12時前に自宅を出ました。最近はタクシーばかり利用しているので,経済的に苦しくバスで病院に向かいました。
 採血後に買い物のためタクシーで京橋の京阪百貨店に行きました。塩分が多く腎不全の私には毒なので,マッタケ昆布,ちりめん山椒を買いました。本当はフキの佃煮が欲しかったのですが。その他和菓子を購入して京阪電車で自宅に向かいました。
 最寄り駅から自宅まで徒歩10分ほどですが,途中で脚の限界が来て休憩のために座り込みました。歩けなくなってしまったのです。休憩後マンションの玄関に到着して3段ほどの階段を上ろうとしたら脚が上がらず転倒してしまいました。今回は左膝を強打して転んだまま起きあがることが出来ません。大きな音を立てて倒れたのに助けてくれる人は誰も居らず暫く横になったままでした。膝がかなり痛いのですが起きあがって自宅に入りました。
 この階段は40年以上使用しているのに,転倒は初めてです。昨日,今日と2回も転倒するのは階段を使用するなの警報なのでしょうか。自分自身の体力の低下が情けなくなり,帰宅後に精神安定剤の服用です。介護施設に入居するのも時間の問題でしょうか。

 誰もが歳をとり,年齢を重ねる毎に転倒の危険性が増えます。ある年齢になったら私の気持ちを理解できるのでしょう。
2019年9月23日(月:祝) お彼岸
 9時前に目を覚ましましたが8時間は眠ったのに非常に眠たいのです。夜間頻尿で夜中に数回トイレに行くのですが,半分寝ておりトイレに行くのが辛いのです。特に最近は脚が弱くなり転倒しそうなのです。ベッドからあまり歩かないように,自室に尿瓶を置く対策も必要かも。

 今日こそは16時過ぎから散歩に出かけようと気力はあったのですが15時前から気持ち悪くなるほど眠たくて寝てしまいました。目覚めると17時を過ぎており散歩の時間が過ぎていました。
 今日は散歩の前に夏物シャツを洗濯のためクリーニング屋に行くのとゴミ出しをする予定でしたが,ゴミ出しだけをしようと空になったペットボトルを入れた45Lポリ袋と一般ゴミの45Lポリ袋を持ってエレベータでゴミ集積場に行きました。私のマンションでは月曜と木曜に生ゴミとプラスティックゴミを分別して玄関前のロッカーの横に出しておけば掃除の方が持っていってくれます。大きなゴミ(45Lポリ袋)は自分で運ぶ必要がありますが,それは月に1回もないので自分で運べます。

 ゴミを捨てた後にマンションの中庭を歩いてみようと思ったのですが,結局いつもの遊歩道を歩くことにしました。今日はお彼岸であり遊歩道沿いに彼岸花が咲いていました。この花は律儀に毎年お彼岸には咲いています。そして,今日は綺麗な夕焼けとマッチしていました。自宅に籠もっていると季節の変化が判らなくなります。

 1回の休憩を入れて久しぶりに遊歩道を30分ほど歩きましたが,ふくらはぎや太股の筋肉が痩せて力が入らず膝がガクガクでした。そして,息が上がり非常に疲れましたが精神的には30分でも歩けて良かったと思います。
2019年9月22日(日) 散歩したかったのに
 一昨日も夕食時に気持ち悪くなり戻しそうになった嘔吐しなかった。昨夜は何も食べたくないのでお粥を炊き簡単なおかずである減塩ハムと目玉焼きを野菜サラダの上にのせ,もう1品はモズクを付けました。ご飯は気持ち悪くて食べられないのですが,お粥は海苔の佃煮等と一緒に食べることが出来ます。これまでが時々夕食にモズクを出して呉れていたのですが,久しぶりにモズクを食べて美味しいと感じました。
 一方,目玉焼きは半熟なので気持ち悪く,ハムと共に1/3は残しました。味覚障害から非常に食が細くなり,1年前の1/3以下になってしまいました。
 因みに,昼食を食べなかったので,いつもの精肉店で肉を購入するついでに肉コロッケ,カボチャコロッケ,そしてジャガイモ揚げて貰いました。なお,30年年金生活するには2000万円の預金が必要という話が出てから1000円/100g以上の肉が売れなくなったそうです。2000万円では全く足らず,生活できませんよ。私は。そして,帰宅後に揚げたてが美味しい肉コロッケを食べましたが,気持ちが悪く1/3は捨てました。

 昨夜は夕食を済ませ日記を完成させ,パソコンの前を離れ食事の後片づけをするために洗い物を台所に運ぼうとしたら突然気持ちが悪くなりました。あわてて,トイレに駆け込むと気持ちが悪くなってから30秒以内に口や鼻孔から先ほど食べたものを戻してしまいました。鼻水が出るやら涙が出るやらで嘔吐して,数分間をトイレで苦しみました。これまで,食事に注意をしているので,このようなことは年に1~2回でしたが最近は回数が増えました。だんだん内臓も壊れてきており,92歳で亡くなった父は胃ガン(高齢で見つかったため放置),父の弟(叔父さんは)は75歳に胃ガンで他界(息子が京大医学部の医師なのに),その奥さん(叔母さん)は3年前にすい臓がんで亡くなりました。また,現在母もガンです。
 このように我が家の系統はガンが多く,私も胃ガンかも判りません。もう,20年近く胃の検査(バリウム)を行っていませんが手遅れなら延命治療はせずに緩和病棟で亡くなりたいです。妻の苦しい闘病生活を知っており,私には耐えることが出来ません。

 今日も2時間ほど寝て午前3時に目覚め,寝付けないのでテレビを観て6時過ぎに再び寝ました。そして,起床は9時過ぎだったので寝不足です。昼寝をして15時ぐらいから散歩をしようとしていたら,今日は腹痛で1時間足らずでトイレに駆け込みます。下痢が始まりもう,散歩どころではありません。
 でも,日々に自覚があるぐらい脚の筋力が低下しており車椅子が必要かも。妻が亡くなった夫の5年生存率は正しいようです。

 明日こそ,雨が降っていても傘を差して散歩したいです。
2019年9月21日(土) あの時に戻りたい
 18日の葬儀に出席した際に,葬祭場から精進揚げを行う寿司屋まで行くのに弟の車の後部座席に乗り込もうとしたら脚に力が入らなくなって乗り込むことが出来なくなりました。車は弟にいつも乗せて貰っているワンボックスカーなので床が少し高くなっており,乗り込む時にはハンドルなどを持って行うのですが。
 側にいた弟の息子が私を見て,体を支えてシートに座らせてくれましたが,これまでこのようなことが無くショックでした。そして,自宅までの帰路でいつも歩いている最寄り駅からの帰宅時も休憩しないと歩けなくなり情けなくなりました。
 一昨日は非常に疲れていたので寝てばかりであり,風呂を沸かしても入ることが出来ませんでした。そして,夕食ににゅう麺を作っていたら脚に震えに来たので精神安定剤を服用して,自室で食べようとしたら気持ちが悪くなりました。急いでトイレに駆け込みましたが,朝食(イチゴ1個)後から何も食べていないので嘔吐が出来ず,気持ち悪さが治るまでトイレで苦しんで,多少ましになったのベッドに横になりました。
 20分ほど寝ていると正常に戻ったのでにゅう麺を食べましたが冷めてしまいました。

 昨日は8時間近く眠り,夕方から散歩を兼ねて整形外科医院に行くことにしました。前日風呂に入っていないので15時前に風呂に入りましたが疲れてしまって歩けなくなりました。そして,ベッドで横になったので整形外科医院には行くことが出来ませんでした。
 ベッドの中で色々考え,現在はトイレまで何とか歩いていますが,このまま寝てばかりだと歩けなくなり買い物や病院にも行くことが出来ないと不安となり介護を頼むことにしました。
 でもどのように依頼してよいのかわからず,緊急を要するので弟の知り合いが介護関係の仕事(特養等の介護施設の経営)をしているので聞いて貰うことにしました。私には頼る人がいないと嘆いていますが,弟だけが心の支えなのです。

 17時過ぎに,弟に電話を入れると早速問い合わせを行ってくれて,区役所の介護保険課に行くよりも居住区の”社会福祉協会”に介護の依頼した方が早いと電話番号を教えてくれました。その協会の対応時間は18時までとのことなので,直ぐに電話を入れました。
 その協会に電話を入れると,自宅地域統括となる”東部地域統括支援センター”を紹介され,19時まで問い合わせ業務を行っているとのことで直ぐに電話を入れました。そして,細かい話が聞きたいので明日(21日)に自宅訪問をしてくれることになりました。対応が早いです。

 今朝は6時間ほどしか眠っていませんが8時前に目覚めてしまいました。そして,9時過ぎに支援センターのケアマネ?から電話が入り,「今日は予定が一杯詰まっているので行けず,連休明けの24日に伺いたい。」と言われました。私は朝が弱いので11時に来て貰うことにして電話を終えました。
 とうとう私も健康年齢に達して,介護認定を受けて介護をお願いするようになりました。自宅内を何とか歩くことが出来,1人で食事の用意も出来るので,未だ介護施設には入りたくありません。介護認定を受けても出来るだけ援助を受けないように運動が必要です。

 今日は寝不足なので昼寝をして夕方からスーパーに出かけることにしました。普通に歩くと10分以上時間を要するので電動自転車で行くのです。でも,これまで自転車で何度も転倒しているので運転できるか心配でしたが,何とか乗ることが出来ました。スーパーではカートを押して買い物をするのですが,歩いて色んな品を選ぶので脚が非常に疲れます。座り込みたい気持ちでしたが我慢して,次にいつ来られるか判らないので色んな品を購入して無事帰宅しました。

 これほど,ここ数ヶ月で脚力が極端に低下するとは思っていませんでした。今年の5月に野鳥撮影を行って以来野鳥撮影を行っておらず,秋の渡りも始まっているのに体が言うことをきいてくれません。元気に野鳥撮影に興じていた”あの時に戻りたい”のです。
2019年9月18日(水) 葬儀
 昨夕は有里ちゃんを連れて実家に帰り叔父さんの通夜の会場まで連れて行って貰いました。最近流行の家族葬の会場(妻の場合も家族葬の会場を使用しました。)であり,出席者は叔父さん家族を含めて15名ほどでした。
 叔父さんは6ヶ月近く入院して亡くなり,その間延命のために沢山のチューブに繋がれ息を引き取ったので口を開けたままの苦しそうな死に顔を哀れに思いました。
 私の妻の場合は眠るような顔で息を引き取ったので私は亡くなったとは思えず妻に「おい,起きれや。」,「家に帰ろ。」と荼毘に付すまで何度も言いました。綺麗なままの妻と別れが出来て幸せだったのかも判りませんが・・・
 妻は自分の死を覚悟し延命治療を自ずから断りましたが,叔父さんの場合は家族の希望(エゴ?)で延命処置をしたので長い間苦しかったのでしょう。

 通夜から自宅に戻ったのは22時前でした。最近は体調不良から22時前にベッドに入るのですが昨夜は23時を過ぎました。そして,24時前に眠りに落ちたのですが,いつものように午前2時過ぎに目覚めてしまい,それから寝付けません。葬儀が12時からなので8時には起床しないと行けないプレッシャーがあったので余計です。
 本来なら葬儀に出席できる体調ではないのですが,有里ちゃんを連れて9時半に自宅を出ました。今日も弟の車で葬儀会場に向かうと,通夜と比べて列席者が25名ぐらいになっていました。
 12時からの葬儀を終えて火葬場まで同行し精進揚げに参加しました。昨夜の通夜振る舞いや精進揚げには味覚異常から出たくなかったのですが,根が卑しいので食べることが出来るごちそうを頂きました。タンパクや塩分が1日の許容量を超えており,来週の検査が怖いです。

 有里ちゃんが徳島まで帰るので,精進揚げを少し早く切り上げて私が大阪駅まで送りました。この2日間有里ちゃんと色々話をしましたが,食事の量が私の2倍以上でありビックリしたのと乳ガンを経験したのに楽天的で,悲観的な私は羨ましく思いました。

 今日はこんな時にしか逢わない従兄弟達と出逢い色んな話をしました。その中で,半年ぶりに出会った弟の長男から「暫く逢えへんだら,急激に歳をとったな。」,「腰も曲がってしまい,老人そのものやで。」,「声まで老人になったで。」と言われました。
 私も体調不良で,この3ヶ月ほどで急激に体が劣化したのに気付いていたのですが,ズバッと言われてショックでした。腰痛も酷く腰が伸びず,話し相手も居ないので声も歳をとりました。

 17時前に自宅の最寄り駅に着きました。一番利用する駅で,通常自宅まで徒歩10分ほどなのですが今日は途中で休憩しないと歩けなくなるほど体力が無くなってしまっていました。寝不足と2日間の外出で腎不全による浮腫が酷くなったのが原因と思うのですが,これもショックで落ち込みました。
 自宅に帰ると当然誰も居ず,居間で写真の妻が待っているだけだったので寂しさから久しぶりに大声で「ただいま!」,「帰ったで!」と大声で叫びました。体調が悪いと,ほんとに精神的にも壊れそうで1人暮らしの自信がますますなくなりました。
2019年9月17日(火) お通夜
 昨日は叔父さんが亡くなったので徳島の従姉妹の有里ちゃんに連絡を入れると,通夜葬儀に出席することになった。泊まる場所がないので体調が悪く気力がないので掃除をしていない汚いが我が家に泊まって貰うことにしました。ただ,妻の部屋は優先的に掃除をしているので綺麗です。
 体調は悪いままだったのですが運動不足で歩けなくなってきたので,15時過ぎから運動を兼ねて徒歩10分ほどのスーパーに電動自転車を押して買い物に出かけました。途中に坂道もあるので,普通に歩くより2倍以上疲れます。スーパーに到着時は座り込みたいぐらい疲れてしまいました。

 今夜は長芋をすってご飯にかけ食べるので,白身の魚である鯛の刺身と春雨サラダも購入しました。そして,何を思ったのか巻きずしの半分(4切れも)購入してしまいました。そのた,イチジクや桃,パンなどを購入して自転車に乗って帰宅しました。
 これだけ動いただけでも疲れてしまって起きておれずベッドに倒れ込んで休憩が必要なのです。そして,風呂を沸かして入浴しましたがこれも疲れて,入浴後はベッドに寝ころんで休憩です。抗ガン剤治療中の妻も「入浴は疲れるので,体力が要る。」とi言っていたのを理解できました。

 18時半となったの夕食の準備なのですが,シンクの中に3日分の洗い物が溜まっておりそれを洗うと疲れてしまって,またベッドに横になりました。疲れが取れたので夕食の準備ですがご飯を食べる気力が無くなったので素うどんを作ってしまいました。自室に運び先ず春雨サラダを少し食べ,巻きずし1切れの1/4を食べるご飯が気持ち悪いのです。つぎに,うどんを食べようとしたら戻しそうになったのでトイレに駆け込みました。
 昼食後8時間以上経っているので胃の中は空のはずなのですが,嘔吐が始まりました。茶色い胃液が出るのですが非常に苦しく鼻水と涙が出ました。これまでの嘔吐は食後2時間後ぐらいが多かったのですが今回は違います。内臓に異常が起こっているのでしょうか。

 胃の中の物を全て吐き出すと気持ち悪さが取れたのでベッドに戻り倒れ込みました。20分ほどすると空腹感を感じたので巻きずしは食べず冷めたうどん半分を食べて夕食は終わりです。困った体調です。

 食器類の後片づけも出来ず台所に運んだだけで就寝の準備をしました。22時頃テレビを観ていると30分ほどで眠くなり寝込んでしまいました。途中で1度トイレに行きましたが起床したのは5時半でした。もう,これ以上眠れないのでベッドでテレビを観て9:30に起床しました。朝食は蒸しパンとコーヒーで済ませましたが,相変わらず不味く気持ちが悪いのです。今日も体調が悪くお通夜に行けるか心配になってきました。
 徳島の有里ちゃんは14時過ぎに自宅の最寄り駅まで来たので自転車で迎えに行きました。そして,15時過ぎにタクシーで実家に帰りました。

 昨夜弟からは香典を幾らにするかの電話があったので*万円に逢わせました。妻への香典はもっと少なかったのですが,お世話になったのでかまわないでしょう。すると,昼前に弟から電話があり香典は多すぎるので減らそうと言うことになりました。それでも,妻への香典の2倍です。
 それよりも私はもっと気がかりなことがあります。亡くなった叔父さんには私が早期退職時に貰った退職金のうち*百万円を貸したのですが,15年以上経っても返して貰えず亡くなってしまいました。少ない金額なら,お世話になったお礼にと差し上げますがしがない年金生活者の私には大金であり,これからの生活を考えた場合には必要なお金なのです。借用書の保証人が叔父さんの息子となっているので落ち着いてから交渉です。
 私はこのような作業が大嫌いで,亡くなった妻にも内緒にしていました。
2019年9月16日(月:敬老の日) 続・終焉近いか?
 昨日(15日)の続きです。体調が悪いと文章が浮かばず,パソコンの前に座ってられないのです。

 寝付けないのでテレビを観て6時前に精神安定剤睡眠導入剤を服用して11時まで眠りました。朝食券昼食(コーヒとあんパン1/3と梨2切れ)を摂り体調が悪い(眠くて怠い)のでベッドに寝ていました。
 15時過ぎに特養を尋ねたから,母が私の状態を気にしているとのことで電話が入りました。弟に現在の体調について話をすると,「検査入院をしたらどうや。」と言うのですが,私が通院している医療センターは大きな病院なので簡単に入院できません。妻の時も紹介状を書いて貰って救命救急に駆け込んだのだです。来週の腎臓内科の診察日に訴えてみますが。
 弟は私の足腰が弱りよれよれになっているのを知っており,「体調が悪くなると食事の準備や後片づけが出来なくなり転倒でもすると助けてくれる人がいないので介護施設に短期入所してはどうか。」と勧めますが気が進みません。とうとう介護保険のお世話になるようになるのです。

 弟との電話を切り,17時ぐらいから散歩に出ようと少し寝ました。しかし眠くて起きられず,散歩を諦めました。次に夕食の準備のために18:30ごろ目覚めたのですがまだまだ眠たくて夕食を抜くことにして眠り続けました。次は21時頃に目覚めたので体力維持のため夕食を食べようと起床したのですが死ぬほど眠たくて準備どころではありません。腎臓食用のインスタントラーメンが余っていたので,無理矢理それを食べ再び22時に眠りにつきました。

 目覚めたのは24時過ぎであり,2時間ほど寝た後の寝付きはいつもなら悪いのですがこの日は直ぐに寝付けて,次に目覚めたのは15日午前5時でした。久しぶりにゆっくり前日の16時ぐらいから眠れたのですがまだまだ眠たくて体調が悪いのです。細切れに寝て夢ばかり,この日の夢は頻繁にが出てくるのですが話しかけてくれません。やっと私を迎えに来てくれたのだと,後に付いていくと目覚めてしまいます。
 目覚めてから妻と話がしたく,寂しくなり落ち込んでしまいました。今頃になっても私には妻が絶対に必要なのです。もう私の考えていた,人生は終焉に近いのでお迎えを待っています。

 この日も(15日)も体調が悪く,散歩にも行けず夕食を作る気力もなくレトルトのお粥を食べて24時前に就寝しました。しかし,今朝も午前3時に便秘薬による腹痛に起こされてそれから眠れず6時までテレビを観て精神安定剤睡眠導入剤を服用して10時過ぎまで眠りました。

 昼食後にベッドでテレビを観ていると携帯が鳴りました。それは叔母さん(母の妹)からの電話で話をしたのは従兄弟であり,入院中の叔父さんが今朝の9:45に亡くなったとの連絡でした。88歳で入院中だったので,見舞いに行かないとと思いながら遠い(自宅から2時間)のと体調不良で行けませんでした。
 叔母さんも乳ガンで入院中だったのですが,一時退院の許可を貰って自宅に帰ってきたようです。この夫婦には大変お世話になっており,妻がすい臓がんで入院して手術をした日も,夜中に駆けつけてくれました。また,妻の寿命が短くなった時も最後に病院まで駆けつけてくれました。
 そして,妻が亡くなってから叔母さんは妻の遺品整理や自宅の片づけを手伝ってくれた大きな恩があるのです。
 絶対に通夜・葬儀には出席する必要があるのです。
2019年9月15日(日) 終焉近いか?
 相変わらず体調の悪い日が続いており,ますます酷くなっているようです。後期高齢者になるのは後10ヶ月余りであり,妻を亡くして5年経つのは後6ヶ月余りであり,私の人生も終焉に近いのではないかと考えるようになりました。このような思いをするのは初めてです。

 12日は11:00より泌尿器科の予約を入れてあるので,目覚ましを9時半にセットして23時半に就寝しました。近頃は22時ぐらいからテレビを観ていると居眠りばかりするようになったので,寝付きが良く睡眠導入剤を服用していません。ただ,就寝後2~3時間経って目覚めるとそれから寝付けなくなるのです。寝付くように努力するのですが精神状態がいらつきだし眠たいのに眠れません。
 仕方がないので早朝からテレビを観てしまうのでその日は寝不足で体調が悪いのです。不思議なことに,このような日が続くのです。
 この日はバスで泌尿器科に行くつもりでしたが体調が悪いのでタクシーで出かけました。節約のためにタクシーは避けたいのですが,30分ほどのバスに自信がありません。

 診察室に10:40に呼ばれたので医師(親戚)に最近の体調を説明しました。医師からは「腎不全で睡眠障害や味覚障害は出ない。」とのことだったので26日の腎臓内科で診察して貰います。人工透析の手術をするにしても,睡眠障害と味覚障害を治しておかないと。
 昼前に帰宅したので昼食にざる蕎麦を作りました。そして,昼寝をしようとしたのですが寝付けず16時過ぎから久しぶりに整形外科医院に行き膝と腰への注射とリハビリを行いました。ただ,医院まで自宅から徒歩10分程度なのですが,横になっている時間が長く歩けなくなっており医院到着時は息切れをして脚力の低下を知らされました。
 夕食は帰路の総菜店で購入した肉じゃが,唐揚げ,ささみと野菜のマヨネーズ和えをお粥で食べましたが,肉じゃが以外気持ち悪くて食べられませんでした。

 この日も24時前に就寝したのですが13日の午前2時過ぎに目覚めてしまい,寝付けないのでテレビを観て6時前に精神安定剤睡眠導入剤を服用して11時まで眠りました。昼からは体調が悪く,長らく行けなかった理髪店に行き髪を短くして貰い帰路でスーパーに立ち寄り果物などを沢山購入し,昼食用にいつものたこ焼き屋でたこ焼きを購入して帰りました。
 このたこ焼き屋は美味しく,家内も好きだったのですが私の味覚障害から美味しいと思わなくなりました。14時半ぐらいから昼寝をして16時から散歩を兼ねて整形外科でリハビリをする予定でしたが眠くて起床できず寝てしまいました。18時半から夕食の準備のために起床してにゅう麺を作りましたが,体調が悪く台所に立つのが非常に辛かったのです。20分ほどで完成してお盆に乗せて自室に運びましたが,体調が悪く倒れそうでぶちまけそうとなりました。
 食事後も洗い物をする体力が無く,鍋や食器をシンクに入れたままでベッドに倒れ込みました。食事の用意や片づけが出来なくなれば重傷です。
 この日も22時ぐらいから居眠りで23時半に就寝しましたが14日の午前2時過ぎに目覚めてしまい熟睡できません。


 体調不良のためこれ以上書けませんので続きは明日とします。
2019年9月11日(水) 食べられない
 久しぶりの更新です。

 私の70年以上の人生において最高の体調不良が続いています。この長い人生において70年以上は日常生活を誰かのお世話になっていました。結婚するまでの30年近くはに家事全般を頼っており,結婚後は40年間をに頼りきりで,1人で日常生活が出来ませんでした。
 それが,妻がすい臓がんに冒され3ヶ月で他界してしまい,1人での見様見真似の生活が4.5年続きましたが持病だった腎不全の急激な悪化(特に,この3ヶ月で)が原因なのか毎日体調が悪く,腰痛と共に苦しんでいます。

 現在は腎不全だけでなく睡眠障害味覚障害でも苦しんでおり通院しているのですが改善されません。
 睡眠障害は眠りの質が悪く熟睡感が得られないのと,寝付きは良くなったのですが睡眠後2時間ほどでトイレに行くとその後寝付けない状態となっており,寝不足で昼間は居眠りばかりで日常生活に支障を来しています。寝不足で外出すると貧血を起こしたり,気持ちが悪くなり嘔吐したりします。

 味覚障害も酷くなってきており,食べられなくなってきました。主食であるご飯(米)。食パンを食べると気持ちが悪く玉子,牛肉の脂身も気持ちが悪く,好きだったカレーライスやハヤシライスも嫌いになりました。
 ここ最近の私の食生活は以下のようになっています。
 ●9月6日
 この日は睡眠治療のためにメンタルクリニックに出かけましたが症状が改善せず医師もお手上げ状態?のようです。
 夕食は食べたいものの在庫が無くスーパーに買いに行く気力もないのでマンション向かいのコンビニでサンドイッチとおにぎりを購入して帰るが気持ちが悪くて半分以上捨てる。

 ●9月7日
 何も食べる気が起こらず,夕食に玉子かけご飯と冷や奴を食べましたが,ご飯が気持ち悪く半分捨てました。

 ●9月8日
 今日は久しぶりにスーパーに出かけ沢山の買い物をしました。昼食はスーパーのサンドイッチを食べましたがチーズが気持ち悪く半分捨てました。夕食は白ご飯が食べられないので五目飯を作り,サンマと大根おろしで済ませました。ただ,ご飯は半分捨てました。
 そして,21時前ぎから洗い物をしていると急に気持ちが悪くなり1分も持たずにトイレに駆け込みました。トイレで苦しみながら夕食全てを戻し(嘔吐)気持ち悪さが治ったので居間を通ると写真の妻が私を心配そうに見ていました。私は妻の写真を見て,自分の体調に情けなくなり思わず涙が零れました。
 もう1人で生活する自信が無く無くなりましたが,誰も助けてくれません。妻は常々私の死に水をとると言っていたのですが,先に旅立ちました。

 ●9月9日
 昨夜の嘔吐で生活の自信がなくなり藁にもすがる気持ちで近所の内科医院に駆け込みました。医師に症状を説明すると原因不明とのことで診察は終わりました。口の中が気持ち悪く食べられないのです。唾液腺異常?と思うのですが処方はないとのことです。
 帰宅後に昼食はエクレアとカップ麺(少)を食べられましたが,夕食は食べたくなくイチジク1個で済ませました。

 ●9月10日
 朝食はあんパン半分とイチジク1個を食べ昼食は無しです。夕食は前日に炊いたお粥(0.8合を3日で食べます。)と天ぷら,味付け海苔を食べましたが途中で30分ほど休憩しながらの食事で半分以上を捨てました。もう,普通の食事は出来なくなりました。

 ●9月11日
 朝食はコーヒーであんパン半分と梨1/4を食べました。ヨーグルトは体が受け付けなくなりました。昼食は無しで夕食にカレーうどんを食べました。麺類だけは体が受け付けます。

 そして,体調が悪いので殆どの時間を寝ているので歩けなくなってきました。健康寿命も尽きたようです。