2018年8月31日(金) 41月命日
 今日は41回目の月命日です。今日の服装はイルファーロの水色系薄手ズボンと水色系のポロシャツを着て,その上からラコステの麻の白い長袖を羽織り,白いアディダスの帽子を被って出かけることにしました。

 自宅を12時過ぎに出るときに,いつものように妻の写真に「一心寺のあんたに逢いに行ってくるわ。」,「あんたは,ここに居といてくれへんだら,寂しいから嫌やで。」と話しました。
 遺骨は一心寺にあるのですが,妻の霊は居間のソファーに座り私と一緒に暮らしていると思いたいのです。

 一心寺は地下鉄の最寄り駅から徒歩で15分程度です。今日の大阪は青空が広がっており,最高気温は34.3℃と猛暑日寸前であり,湿度が高くて蒸し暑い日でした。
 一心寺には13:05に到着して、いつもの様に一番太い和ろうそく線香を購入しろうそくに戒名”安祥貞淑大姉”と妻の俗名まで書きます。
 ろうそくと線香を立てて納骨堂でお賽銭を入れて数珠を手に合掌します。このときは暑さから額から汗が滲んでいました。

 そして,いつもの様に心の中「来たで。」,「今日も暑いけど来られたわ。」と妻の入っているお骨仏に話しかけますが,今日は返事が聞こえてきません。
 私はかまわず「ますます、体調が悪くなってきてるねん。」、「もう,一人での生活は自信がなくなってん。」、「早よ,迎えに来てえな。あんたが何処にいるか別れへん。」と語りかけていると,思わず目頭が熱くなりました。人間的にも、ますます弱くなってきています。

 妻が亡くなって4年目の夏も終わりに近づきましたが,最近回数は減ったものの夜中に突然の”嘆き声”、”叫び”の声が大きくなってきており,精神的にも破壊寸前です。

 妻が息を引き取った13:12にお参りを済ませ,境内の木陰で購入してきた缶コーヒを飲み妻を偲びました。13:12にお参りしているのは,技術屋として,いや寂しがりの私の拘りです。臨終に立ち会ったこそ,この時間があり,医師の死亡診断書は1時間後となっていますが,それは間違いです。
 息を引き取った後に起こった出来事(2015年3月31日の日記)を知ってもらえれば,私が正しいのが判ります。

  「来月も来れたら,来るわ。」と言い一心寺を出て,暑さと寂しさで足取りも重く地下鉄の四天王寺前夕日丘まで歩き,駅に着いたときは汗でポロシャツが濡れていました。
 妻が亡くなってから、痩せてしまった私は暑さに強くなったのですが、今日の汗のかきかたは異常です。湿度が高いのが原因か、体調が悪いのかです。何年かぶりに、長袖のシャツをめくりました。
 地下鉄の途中の天満橋で下車をしてモールで妻のお供え用に焼き菓子を購入しました。昨日のお供えはだけだったので淋しいのです。そして、自宅近くの最寄りの駅前で妻との思い出(叱られた)のたこ焼きを、ソース薄目、マヨネーズ少なめ、青のりふりかけで購入して帰宅しました。
 帰宅すると汗だくでしたが、妻から叱られないように直ぐにたこ焼きを取り分けてお供えして「焼きたての、じゅくじゅくのたこ焼きを食べてな。」、「焼き菓子も買うてきたから。」と話しました。
 今日の私は、妻に語りかけばかりしており異常でしょうね。理論重視の元技術屋の哀れな姿です。

 私も昼食代わりにたこ焼きを食べて、我慢できずにシャワーを浴びました。そして、16時過ぎから整形外科医院に出かけ膝へのヒアルロンサンと腰へのトリガー注射をうちました。やはり、膝への注射は痛いです。

一人屋で夜中に響くなげき声 頻度減りしが声大となり
迎え乞い仏の妻に願いする 残暑厳しき4年目の夏
空蝉の世の中すねて寺参り亡き妻恋し月命日ぞ
2018年8月30日(木) どうしようもない体調
 今日は総合医療センター腎臓内科の予約を10:00に入れていましたので,7:30(私にしては非常に早朝)に起床しました。昨夜も寝付けず就寝は午前1時半過ぎで,1時間ごとぐらいの夜間頻尿のため非常な寝不足です。
 眠たいのでゆっくりと朝食を摂り9時過ぎに自宅を出ました。医療センターの到着は9:40ぐらいであり早速診察受付を済ますと,待っていたかのように診察番号が画面に表示されたので,あわてて診察室の前まで行きました。

 担当医より体調を聞かれたので「夜間頻尿が酷く熟睡できません。」,「夕食は18:30頃に食べるのでが,23時頃から1時間足らずで尿意を催し眠れないのです。」,「そして寝付いても,やはり1時間ごとにトイレに行くのです。」と一番困っている症状を伝えました。
 そして,私は「利尿剤が効き過ぎて,水分の排出量多いのでは。」,「体重は一時期56.0kgまで減りましたが,現在は56.5kgぐらいで安定しています。」と話しました。脚の浮腫はほとんど無くなっており,利尿剤により体内の水分が減っているのではと考えたのです。

 医師からは「腎不全の方の夜間頻尿の処方はないですね。」,「痩せ過ぎも体に悪いです。」と言われ,昨日の事前採血した結果を見て「脱水症状は出ていないので,水分の出すぎではないです。」と答えられました。
 そして,私が一番恐れている腎不全の数値であるクレアチニンは横ばい,尿素窒素は上がっていると言われました。腎不全の進行防止は”食事療法”しかないのですが,私の食事制限はもう限界ですどうしようもない体調なのです。
 貧血の数値は1ヶ月前より少し改善していたので,痛い増血剤の注射は止めることになり,前回と同じ大量の薬を処方されて1ヶ月後の診察予約をしました。

 診察室を出たのが10時ぐらいであり,会計を済ますと次は医療センターの近くの泌尿器科医院の診察です。予約時間は11時となっていたので,10:40まで医療センターの待合室で時間を過ごし泌尿器科に行きました。
 今日は”尿流量検査”の日になっており,朝食時から水分を多く摂っていたので尿意があったのですが,測定器の前に立つと尿が出ないのです。一旦検査を止め,看護士から500mLのペットボトルの水を渡されたので,全て飲み1時間後に再検査をしたのですが,やはり尿が出ません。水分を沢山摂っているので膀胱には尿が溜まっているのですが出ないのです。お腹がパンパンとなっているのに,検査に対する精神的な緊張から尿が出ないようです。

 検査は次回やることにして診察室に通されました。医師(親戚)に昼間は尿の出が悪いが,夜は夜間頻尿で沢山の尿が出て困っているなど色々と伝えました。
 排尿困難は前立腺肥大(男の老人病)が原因と,腎機能低下で昼間尿を作れないからです。医師から「12月から新しい薬を処方できるので,それまでは現在の薬を服用してください。」と言われ診察終了です。
 薬局では利尿剤が高価なので1万円近くを支払い13時過ぎに帰宅しました。

 帰宅すると,尿意が我慢できずに排尿しました。情けない体?いや精神的な弱さですね。
 16時前から食パン,ヨーグルト,米などを購入するためにスーパーに出かけました。明日は妻の月命日なので果物を供えようと梨,バナナを見ましたが足が速く直ぐに腐らせてしまうので桃を選び,イチジクも欲しかったのですが6個入りしかなかったので諦めました。そして,美味しそうな旬のサンマが1尾128円で売られていたのですが,タンパクが多いのが心配とはらわただけを出したサンマだったので,焼くためにには半分に切る必要があるのです。でも,切るとまな板と包丁の洗浄が面倒くさいので買うのを止めました。

 今日もスーパーで5千円近い買い物をして,帰路でいつもの花屋さんに立ち寄りました。そして,「明日は妻の月命日だから花を選んでください。」とお任せで菊以外の花を選んで貰い帰宅しました。今日は水分をかなり摂ったので,自宅に帰ってからは1時間ごとぐらいの頻尿となりました。

 ああ,腎不全は辛い病気です。でも,未だ私は夜間に尿が出るので水分制限が付かないだけましです。今日は体調を綴った日記でした。
2018年8月29日(水) 昔を思い出して(2)
 今日は総合医療センターでの事前採血日です。時間的な制約がないので10時過ぎに起床しましたが,8時間寝たつもりなのに非常に眠たく病院に行きたくなかったのです。でも,明日は腎臓内科の診察予約を入れてあるので事前採血は絶対に必要であり渋々出かけることにしました。
 糖尿の検査もあるので朝食は抜きで,バスで病院に向かいました。私が5月に入院していた,そして妻が亡くなった病院なので足が重いのですが,体調も悪いです。
 昼前の病院の採血室は空いており,直ぐに採血してくれました。今回も,血が止まりにくいと見られて2重に止血用のテープを貼られました。このテープの粘着力はきつく,私が痩せて腕も細くなり皺くちゃなので,テープをはがす際に皮膚ごと捲れるのではないかと思うぐらい腕の皮膚が伸びるので嫌なのですが。

 帰路はバスの本数が少ないので地下鉄で帰ることにしましたが,地下鉄の駅から自宅までの約20分間は昼過ぎの炎天であり,空腹もあって余計に体調が悪く汗が滲んできました。因みに,今日の大阪の最高気温は35.4℃(13:30)の猛暑日であり,残暑が厳しすぎました。

 帰宅後に朝食券昼食のパンを食べて,おやつに桃を食べました。そして,ベッドの横になりテレビを観たのでした。
 すると17時頃にインターホンが鳴りました。
 腎臓食用のレトルト食品の宅配は18~20時の予定なので誰だろうと出てみると日本郵便の宅配便で麦茶が届いたのです。
 販売店からのメールでは9月3日予定となっていて,配達時間は日本郵便から連絡が入るだろうと思っていたのですが5日も早く,それも連絡もなく持ってくるとは何事でしょう。
 私が在宅して居たから良かったものの,これが火曜や金曜日ならこの時間は整形外科に行っていて留守だったのです。
 折角私の方からメールを入れたのに無視されたので,宅配員に文句を言ってやろうかと思いましたが3000円(麦茶2L×12本)ほどの商品なので止めました。

 26日には初めての海外出張の回顧を書きましたが,2010年8月28日の”気まぐれ日記”には最後のヨーロッパ出張となった時の思い出も書いていました。

 その日記の内容は,以下です。
 【昨夜,MBSテレビの放送で若いコメディアンの女性が一人でパリの自由の女神像の所まで行く番組をしていた。
 彼女は美人ではないが,態度や喋り口調に可愛さがあり面白いので終わりまで見てしまった。(来週に続きがあるので見ないと。)
 でも,一番の問題は英語が殆ど喋られない(私より酷いと思った。)のに,自分でホテルを探したり,他人に聞きながら目的地に行くので苦労していました。
 それをテレビを見ている人は,彼女が四苦八苦している様子を見るのは面白いでしょうが,大抵は一人で海外出張に行き,色んなトラブルを経験した私は我が身を見ているようで彼女に同情していました。(しかし,番組では彼女一人旅となっているが,カメラマン等のスタッフが同行しているので最悪の場合は助けて貰えますネ)
 
 私の海外でのトラブルは色々ありますが,生命に関する事がなくて良かったです。そして,トラブルと感じたのは私が英語を少ししか喋れないのが大きな要因でした。
●アメリカの空港で飛行機を乗り間違った・・・国内線の小さな飛行機に乗るのに,空港内を飛行機までバスで行くのですが私は米語(英語より難しい。)が余り判らないので,チェックインカウンターの女性がバスの運転手(黒人女性)に私を目的の飛行機に乗せるよう頼んで貰った。
 バスが飛行機の側に着いたので運転手の顔を見ながらタラップを登り飛行機に乗り込んだが彼女はその行動に対して何も言わなかった。でも,飛行機の行き先が違っていたのであった。・・・どうなったでしょう?
●アメリカで荷物のトラブル・・・チェックインカウンターで荷物を預かってくれない。(麻薬が入っていないか疑われた。)
 小さなローカル空港で私の荷物が出てこず,ターンテーブルを探し回った。でも,私の荷物だけが出てこず,他の乗客は居なくなった。国際線で大阪に帰るのに,荷物だけが東京止めとなってしまった。etc.
●空港まで車で1時間以上かかるので,前日に泊まったホテルのフロントに明朝空港へのシャトルバスがホテル前で止まるように依頼しておいた。しかし,明くる朝にバスの予約が入っておらずバスは止まってくれなかった。丁度日本に帰る日なので現金は20ドル程度しか持ち合わせが無く,頭に来たのでタクシーを呼んで貰って空港に向かった。でも,現金が少ない・・・どうなったでしょう。
●米語の発音が下手なので,タクシーに乗ったら違うホテルに連れて行かれた・・・泣きそうになった。
●霧で日本への乗り継ぎ便が飛ばない。絶対に日本に帰らないと駄目なのに・・・どうしたでしょう。

 テレビでは,一人旅の彼女はフランスのシャルルドゴール空港から凱旋門まで出て,凱旋門に登って市内を見学し,その後地下鉄に乗ってエッフェル塔に行き,その近くでホテル探しを行い,何とか宿を確保しました。明くる日は人に聞きながらセーヌ川の橋の側にある自由の女神像に到着しました。(それにしても,酷い英語でしたが何とかなったようです。慣れと度胸ですね。)私も2度行ったパリの懐かしい景色を見て,古い昔を思い出しました

 2000年の10月に出張でフランスに行きました。大抵は一人で行くのですが,この時は部下(設計部門)を連れていったので心強かったのです。(余り英語は喋れないが,度胸がある部下)
 シャルルドゴール空港
に夕方到着すると,会社のヨーロッパ駐在員が通訳として我々を出迎えてくれました。
 空港からプロビンスの電機メーカ(数千万円の製品を発注していた。)で立ち会い試験を行うために駐在員が運転するレンタカーで向かいました。
 でも,途中で道に迷い人に道を聞くのですがフランス語読みの地名が判らず,2時間の予定を大きく遅れて,やっとホテルにたどり着いたのは午後10時過ぎであり20時間以上まともに寝ていないので非常に眠たかった

 プロビンスでの仕事を終わり,シャルルドゴール空港に戻り飛行機で製品打ち合わせのためボルドー(ワインで有名な町。食事の時に高級なワインを注いで頂いたが,私には判らない。日本への土産にワインを購入したが。)に行きました。
 ボルドーでの仕事が終わったのは土曜日の午前中だったのと日本への帰国便が月曜日だったのでパリに遊びに行くこととしました。

 10月は観光シーズンでパリのホテルはなかなか取れず,駐在員が凱旋門の近くのシャンゼリゼ通りから少し入ったホテルを確保してくれたのでシャルルドゴール空港に戻りタクシーでホテルに向かいました。
 日本を出てから1週間以上の間,日本食を食べていないので地下鉄に乗ってこましな寿司屋に行くことにしました。
 ホテルから小さな筋道を通り,何回か曲がって駅に向かいましたが,これが後で大変なことになりました。

 寿司屋で久しぶりの寿司を食べ,未だ満腹感がなかったのでラーメン屋で味噌ラーメンを食べました。(何で,パリでこのような食事をするのでしょう。日本人だから?
 食後に通訳を兼ねた駐在員が私用があるので「二人でホテルに戻れますか。」の質問に,私は部下に帰り道が判るかの確認後に「戻れるよ。」と返事をしました。(方向音痴の私は,この時点でホテルに帰る自信は無かったのです。)

 駐在員と別れた私達は夜のシャンゼリゼ通りを歩こうと,地下鉄を「コンコルド駅」で下車してブラブラとお上りさん気分で凱旋門の方向に歩きました。
 凱旋門が見えてきたのでホテルに向かおうと小路に入り何回か曲がりましたが,ホテルの場所が判らなくなりました。
 私は部下がホテルのパンフレットか名刺を持って出たと思っており,部下は方向音痴の私が持っていると思っていたのでホテルの名前すら不明確地名など全く判りません

 二人で迷子になり夜道を歩いていると時間は午前12時を過ぎ人通りが無くなってきました。
 部下が路を歩いている人にホテルを聞くと真夜中なので不審がられ,ホテルの場所を見つけることが出来ません。(拙い英語が通じていない可能性があります。)
 私は歩き疲れたので機嫌が悪くなり何とかしろ!」と怒り出します。このままだとパリの街を夜通し彷徨う事になると思い益々部下に当たり散らします。(酷い上司でした。)
 部下が何軒かの夜中に開いている店に入り,片っ端からホテルの場所を聞きます。午前1時前にやっとホテルの場所が判り,寝ることが出来ました。

 翌日は日曜日で,駐在員はドイツに帰ったので二人でパリ市内を観光することにしました。
 当然,その日はホテルの名刺を忘れずに持って,地下鉄とバスでベルサイユ宮殿に行きました。
 そこで観光後に言葉が余り通じないレストランで何とか昼食を摂り,ノートルダム寺院に行きました。
 その後,エッフェル塔を見に行き地下鉄で凱旋門に戻りました。(通常,海外出張では色んな人と出会える電車の方が楽しいので,極力タクシーは利用しません。)
 ホテルから地下鉄の駅までは,帰路に迷子にならないように目印を覚えましたので凱旋門からすんなりとホテルに戻りました。

 月曜日は日本への帰国日です。
 一人で朝食を食べにレストランに行くと,ざわついた感じで何かが起こっているようです。
 部下を呼んで様子を聞かすと,パリは大雨が降っておりタクシーを呼んでも来てくれないのでロビーは人で溢れているとのことです。
 我々もタクシーで空港に行かねばならないので,急いで朝食を済ませチェックアウトしてタクシーを頼みました。
 しかし,我々より前にタクシーを呼んだ人が沢山待っているので,我々はいつタクシーに乗れるか判らないとのことです。

 仕方がないから地下鉄で空港に行こうかとも考えたのですが,この大雨の中に傘も無し(有っても荷物が多く差せないが。ボルドーで購入したワインが邪魔。)で駅まで行くことが出来ません。
 このままだと日本に帰れないので,またもや部下に「何とかしろ!飛行機に間に合わない。」と言いました。
 部下は困ったようにロビーに居たボーイになにやら話をすると,ボーイは傘を差しホテルを出ました。
 10分ほどすると,そのボーイはタクシーに乗って帰ってきて,我々に「これに乗って。」と言いました。

 部下はボーイに1000円ほどのチップをはずみ,タクシーを拾ってきてと言ったそうでボーイは凱旋門でタクシーを探してきたのです。
 多くの人がタクシーが来ないのでイライラして待っている中で要領の良い日本人(或いは悪知恵の働く)はさっさと空港に向かおうとしたのです。
 ふとロビーを見ると,優しそうな老夫婦が我々を羨ましそうに見ていたので「空港に行くのですか?」と聞くと,「そうです。」と答えられたので,乗せて上げることにしました。
 その夫婦はカナダから来られており,本日帰る予定がタクシーが来ないので困っていたとのことです。

 親切な日本人(私)は,良いことをしたと気分を良くし老夫婦が乗られる飛行機のターミナルまでお送りしました。タクシーの運賃を払おうとされましたが,辞退しました。(タクシー代金は交通費として会社に請求するからと。)
 このように,何とか日本に帰ることが出来ました。でも,一人で出張していたらどの様になっていたでしょう。パリ観光でした・・・MBSテレビより面白いぞ!

 海外出張の際には,二度とこの地に来られないだろうと行程に出来るだけ休日を入れているので,その日は観光をします。宿泊費と日当も出るので,観光費だけが自腹なのです。このフランス出張の1年足らずで会社を早期退職したので私の会社員時代31.5年修学旅行となりました。その後同じ会社に復職しましたが委託社員(パートタイマー?)であり,営業技術で海外出張は中国,台湾が多かったです。
 なお,当時の元部下は現在開発部長として頑張っています。妻が亡くなってから,我が家にも来てくれました。
2018年8月28日(火) 通信販売
 私は,基本的にNETでの通信販売はセキュリティ面で好きではないのです。クレジットカード(CC)の番号が登録されるので,その番号が盗まれると誰でも他人のカードで買い物をされるのです。従って,これまでは信用できるだろうサイトにしかCCの番号は登録しませんでした。
 飛行機の予約の際はJAL,ANAのHPから購入し,大手の家電量販店腎臓食用の通販が殆どでした。楽天,Yahoo,Amazonなどの通販サイトがありますが歴史が新しく余り信用はしていません。今はやりのメルカリなど悪の温床だと思っている偏屈爺さんです。

 今年の夏になって,ミネラルウォータ,麦茶,ジュースなど購入すると重くて,それを購入して自転車に積んで帰ると転倒の危険性が増えるので通販で買うことにしました。偶然見つけたAmazonのサイトでこれらの通販をしていたので6月に購入しました。
 麦茶とCCとレモンは配送日を指定できたのですが,ミネラルウォータの配送期間は長く偶然私の在宅中に届きました。
 宅配員の方が重い荷物(台車に積んでくるが)を自宅まで運んで留守だったら気の毒だとの,私の気遣いなのです。我が家は一人暮らしで,私が留守なら誰も荷物を受け取る人がいないのです。

 昨夜は腎臓食用のレトルト食品を8月29日の18~20時の受け取りで発注し,次はAmazonに麦茶とCCレモンを発注したのですが麦茶のお届け予定は9月1日~3日,CCレモンは9月5日~12日と時間指定どころか日にち指定も出来ないのです。こんな商品が届くのを待って,じっと自宅にいる気は毛頭ありません
 なお発送はAmazonではなく名も知らない販売店から発送されるのです。神経質な私はAmazonに”自宅を留守にする場合があるので、商品配達前日に到着日時の電話を入れてください。
090−****−****
なお、もし留守の場合には玄関前のロッカーの引き戸内に納品して貰って結構です。
なお、その場合は商品到着の旨を記載した紙などを玄関に入れておいてください。
”とメールを送付しました。
 そのメールはAmazonより各販売店に届いたようですが対応してもらえるかどうか明確な返事は来ていません。

 Amazonnのこれらの商品はスーパーよりも高く,輸送料もかかるので車と体力があれば専門店で箱買いして自分で運ぶのが安いのです。私の場合は,腰痛のために重い荷物がもてないので品物は,宅配員の人に玄関前のロッカーに収納してもらいます。
 次からこれらの飲料品を購入する場合には,価格が少し高くても配達日時を指定できるサイトを選びます。近所の大手スーパーで宅配サービスやっているのでは。

 以前にも書きましたが,私が現金を使うのはスーパー医療費,理髪店ぐらいでクレジットカードの使用が多いです。また,現金はATMで引き落としますが,これからの日本もキャッシュレス化に梶を切るようで,お金の管理に3兆円ぐらいが節約できるそうです。なお,あの騙し大国中国の方がキャッシュレス化が進んでいるのですね。

 しかし,老人(野鳥の友人で後期高齢者)の中にはお金至上主義で,サラリーマンをしていたので給与は銀行(郵便局)振り込みだったのですが,毎月生活資金を通帳で引き出して公共料金の支払いも毎月振り込んでいるそうです。
 今まで,75年以上キャッシュカードやクレジットカードを使用したことのない希有な人,いや時代錯誤の人もいるので,このような人が生存する限りキャッシュレス化は難しいでしょう。
 私に言わせたら,毎月引き出しや払い込みの無駄な労力を使うのは異常であり,面倒くさがりの私には絶対に出来ませんが。因みに,その人もNET通販で買い物をするときがあるそうで,コンビニで現金を支払って品を受け取るそうです。

 今日も寝不足で非常に眠たかったのですが,火曜日なのでプールに出かけました。8月度は毎週出かけたことになり,スボラナ私が皆勤賞なのです。帰路で,整形外科医院に立ち寄り腰への注射とリハビリ(ただし,マッサージの待ち時間が20分以上あり,私は普通の暇人ではないので止めましたが。)をして18時過ぎに帰宅しました。
2018年8月27日(月) 暑くて眠い
 ますます睡眠の質が悪くなっており,今日も8時間以上眠ったのだが熟睡感が無く起床後も眠くて堪りません。トイレに何度も行き変な夢ばかりで寝た気がしないのです。来週,心療内科の予約があり,その時にこのことを話すと””と言われるのでしょうね。前回処方された”軽い鬱治療薬”も服用すると気持ちが悪くなるので止めました。
 夜間頻尿は腎不全が原因で,変な夢は精神的な問題なのですが,私にはもう”熟睡”と言う言葉は無くなったのでしょうね。

 残暑が厳しく,大阪の最高気温は猛暑日寸前の34.1℃でした。野鳥の世界では,秋の渡りが始まったようで大阪城でもコルリなどが撮影されていますが,この暑さでは撮影に出かける体力がありません。もう少し涼しくなれば,カワセミの撮影にでも出かけないと撮影方法を忘れそうです。

 今日は非常に眠たいのですが,約3週間ぶりに特養を訪ねることにしました。13時前に自宅を出ると,厳しい残暑で地下鉄駅までの約20分で疲れてしまいました。地下鉄とバスを乗り継いで,途中のコンビニで購入したいなり寿司(母が好き)と先日購入した焼き菓子を持って母の部屋に行きました。
 母は歩けないので車椅子に座ったままでしたが,私を見ると「また痩せたなあ。」,「体調が悪いんか?」と気遣ってくれます。朝の体重は,徐々に減り続けており今朝は56.2kgでした。56kg台で保持したいのですが,何分食欲もないので・・・

 母は持参したいなり寿司を美味しそうに食べ,土曜日にはが来て,日曜日には弟の息子夫婦が子連れで来てくれたと言っていました。弟は週1回,弟の嫁や弟の子供夫婦は月1回のペースで母からの頼まれものおやつを持参して,そして私は基本的に2週間に1回訪問しているので,母は寂しくないでしょう。なにぶん,我が家から特養までの交通時間が片道1.5時間と遠方なので体調次第です。
 やがて私も介護施設に入らざるを得ないでしょうが,その時に訪問してくれる人はいないでしょう。やはり,寂しくないのは”ぽっくりさん”ですね。

 母の部屋から,脳梗塞による左半身不随でリハビリ入院中の叔母さん(母の妹)に電話を入れてみると,運良く電話に出てくれました。左手の機能回復は無理なようで「9月8日に退院する。」と言っていましたが,自宅に帰っても左手が不自由では家事も出来ないでしょう。認知症が出てきた叔父さんも健在なので,これからの生活は大変だと思います。

 特養からの帰路で実家に立ち寄りました。弟は3:30に鍼灸院の予約を入れてあり留守でした。弟も年齢相当にいろんな病があり,私の周りは老人だらけです。弟の嫁が「何か持って帰る?」と聞いてくれましたが,私は食欲もなく「何もいらん。」と言って30分ほどで実家を出ました。

 17時前に自宅に帰ると待ってくれているのは写真の妻だけですが,いつものように大きな声で「ただいま!」と言いました。
 食欲がないので,好きな麺類の”玉子うどん”を夕食として食べることにしました。暑くて眠い1日でしたが,明日から金曜日まで毎日通院予定が入っており,これが私の生き甲斐?でしょうか。情けないですね。
2018年8月26日(日) 昔を思い出して
 昨夜も寝付けず就寝したのは午前3時頃でした。そして,夜間頻尿で何度もトイレに行き9時半に起床してしまいました。朝食後は非常に眠たいのでテレビを観ながら12時過ぎまで居眠りです。
 私は最近何もする気力が無くて暫く部屋の掃除をしていないのが気になっていたので,昼食後に部屋の掃除を始めました。2LDKの狭いマンションですが,掃除が面倒くさく,まもなく8月も終わろうとしているのに残暑が厳しく蒸し暑いのです。その後,夕方の入浴にそなえて風呂掃除もするとすっかり疲れてしまい休憩です。
 もう,私に掃除などの家事は無理です。いつまでこのような生活を続けるのでしょうか。

 掃除後に,ベッドに寝ころび撮り溜めていた録画を観ました。それはNHKの「鶴瓶の家族に乾杯オランダ編であり,私がオランダに出張に行ったのは20年近く前だったと当時のことを思い出しました。昔のことを思い出させるトリガーが入ると,想い出は初めて海外出張したときのことを思い出しました。
 テレビを見終わり,初めての海外出張であるアメリカ出張時の出来事が懐かしくなりパソコン内いに仕舞われている”回顧録”(私が早期退職をした後に時間があったので,自分が生まれて現在までの出来事を回顧録として纏めていたのです。当然,妻との出逢い・結婚,そして楽しかった出来事も書いています。)を読んでみました。
 以下は,その回顧録からの抜粋です。
 【T社(原子力関係の機器も製造している重電メーカ)から日本原子力研究所:東海村に納入する原子炉圧力容器(軟鋼とステンレス鋼の張り合わせ)解体用(アークソー:電弧鋸)の直流電源を受注して,切断装置製作の会社(リーテック社)との打ち合わせのため1982年11月に初めての海外出張であるアメリカに出張となった。
 出張地は
サンフランシスコ,ロサンジェルス,シカゴ,ユーカイア(サンフランシスコの北約300km)で10日間の予定であった。
 
· 当時,私は37才で会社としては設計者の海外出張は珍しい時期であった。
 それまで,飛行機(プロペラ機)は新婚旅行(徳之島)で乗っただけであり,ジェット機をサンフランシスコまで10時間以上乗るのは,当然始めてであった。
 なお,その時は日本の高度成長の真っ直中であったが1ドル250円近くと,今から思えば非常な円安の時代です。(現在110円とすると,2.4倍の円安です。)
· 当時,会社では海外出張支度金として
5万円(給与から考えると大金です。)が支給され,ドルのTC(トラーベラズチェック)1500ドルと日本円10万円(合計385,000円相当)と一財産?を持参したと記憶しています。
 
· 出張はT社2名,商社の通訳1名,私の4名で行くことになり,私は
大阪伊丹空港から大阪→東京→サンフランシスコ便に乗って欲しいとの事でしたが,他の3名は東京からの搭乗であり,万が一合流できないと私一人がアメリカに行くことになるのが怖くて,私は新幹線で東京まで行き成田空港で待ち合わせたのを覚えています。
 この頃から,神経質で慎重した。

· サンフランシスコの入国審査では,
訛りの強い米語(学校で習うのは英語です。)に四苦八苦しながら「渡米目的は?」,「ビジネスです。」,「何の仕事か?」,「私は電気のエンジニアで,打ち合わせのために来ました。」,「どれくらい滞在か?」,「約2週間です。」と英語で答えたのですが,税関で引っかかりました。
 当時,半導体関係で日米の摩擦が生じていました。
 私はエンジニアで入国したので,「Do you have anything to declare?」との質問に「
Nothing」の答えを用意していたのですが,「*******?」と理解不能な質問があったので,思わず「Yes」と答えてしまったのが間違いでした。
 税関ではライフルを構えた警備員が立っており,税関職員は全く理解できない言葉(米語)でまくし立てます。(そのように感じました。)汗が出てきました!「
HELP ME」です。
 とうとう,通訳が出てきて日本語で「商用で来たのだから,申請する品があるでしょう。」と聞きましたので,「
No but I do have some Japanese cigarette.」と英語で答えると荷物検査も無しに通関しました。
 このこと以来,アメリカ滞在中は
米語恐怖症になりました。

· 米国での私の仕事は
ユーカイアでのアークソーメーカのリーテック(機構関係)との打ち合わせ1週間だけなので,後はT社の付き添い?です。
 サンフランシスコには土曜日に着いたので日曜日までは,商社通訳の案内付きでサンフランシスコ観光を楽しみました。

 月曜日にはロサンジェルスで仕事をして,その日の内にユーカイアまで移動しました。
 本来なら,シカゴに行く予定だったのですが,訪問先の会社で事故が起こったため中止となりました。
 シカゴはギャングの街なので怖かったのですが,行かなくて良かった。(なお,ユーカイアのリーテック社より飛行機でサンフランシスコに迎えに来てくれるはずだったのですが,悪天候のため車で向かえに来たのでした。)

· ユーカイアは小さな街で,訪問先の会社は,その地域では大きな会社でした。
 宿泊はプールやサウナ付きの広いモーテルで,会社から車を1台貸してくれました。しかし,誰も国際免許を持って居らず,当然運転は商社マンが担当となります。
 夜の食事や飲みに外食すると背後に派手なパトカーが付くときがあります。そのような時は,無免許運転と酔っぱらい運転がばれるのが怖くスーパーに逃げたのを覚えています。(日本の犯罪者?)

· 訪問先の会社(リーテック)では正門で入門手続き(サイン)をして,名札を貰い会社に入ります。
 技術的な打ち合わせでは,商社の通訳が入って行われますが,専門用語が多いのと,先方技術者の訛りがきつく理解不能なので遅々として進みません。
 専門用語は,私は理解できるのですが,私の発音が下手で相手に理解して貰えず,相手の言葉も訛りがきつく判りません。

 その解決手段として,筆談を行うことにしました。私がスペルを間違うと直して貰ったりで,何とか打ち合わせが進みました。
 通訳曰く「技術者は良いですね。喋られなくても筆談で仕事をすることが出来るから。」を覚えています。
 英語なら多少通じると思うのですが,巻き舌で発音する米語は殆ど理解できません。
· 日本に帰国後,米会話の勉強のためテープ(数万円)を買って勉強をしました。
 しかし,「of」,「a」等の前置詞の発音が全く聞こえず,自宅に外国人(会社での研修生)を呼んだ時は,米語を教えて貰いました。

· リーテックでの仕事も終盤に近づき,社内の人達とも挨拶を交わせるようになりました。
 受付では,女性が対応してくれるので顔を覚えただろうと,日本語でサインしても正しい名札をくれるようになりました。
 小さな街なので,日本人は珍しく夜に食事や飲みに遊び回っていると,翌朝はあの店に居たと噂されていました。昼休みには,グラマラスな金髪美女?が日本語を教えて欲しいと会議室に入ってくるようになりました。

· 金曜日に仕事が終わりました。土日は休日なので,帰りは
ハワイに寄ろうという話になりました。
 其処で,土曜日はセスナをチャーターしてサンフランシスコに行き,ハワイで土日を遊び帰国する案となりました。
 出張のついでに,常夏の国ハワイに寄れるので浮き浮きしながら土曜の朝を迎えました。
 空港に行くとセスナは待機してきたのですが,サンフランシスコ空港が霧のため着陸できない事態が発生していました。
 霧が晴れるまで空港で待機したのですが霧が晴れず,ハワイ便に間に合わない時間となったので,泣く泣くバスでサンフランシスコに戻ることになりました。
 それ以来,現在に至るまでハワイに行ったことはありません。

· 以上のように,楽しい?初めての海外出張は終わりました。初めての,出来事(同行者3名のパスポートを預かり,翌朝ホテルに帰っていなければ日本大使館に行って欲しいと頼まれたこと等,書けないことも?)は鮮明に記憶に残るものです。


 アメリカからの帰国後に,1ヶ月も経たない内にイギリスのオックスフォードへの出張となりました。その後,再就職後の64歳で会社を辞めるまでいろんな国に出張しましたが一番多かったのは,中国,韓国,台湾となっています。
 亡くなった妻ホノルルマラソン(8回完走),フラダンスで20回近くハワイに出かけていますが,私はアメリカ出張の帰路でハワイに寄れなかったので行ったことがありません。
 一人での海外出張も多く,飛行機に乗り間違えたり,お金(米ドル)の持ち合わせもないのに1時間近くタクシー乗る羽目になったり,真夜中のパリで迷子になりホテルが判らず困ったりと,今だったら話せる笑い話が沢山あります。英語が殆ど話せない私には大変な出来事だったのですが。

 相変わらず,私には過去しかありません。
2018年8月25日(土) 区民まつりへ
 今日は44回目の”区民まつり”の日です。区民ホールでコーラスや吹奏楽のプレコンサートがあるので出かける予定にしていました。今週は水曜日以来外出する気力が無く昼過ぎまで寝ていたのですが,今日は眠りが浅く寝不足だったのにもかかわらず9時過ぎに起床しました。
 40年以上この区に住んでいますが,私がプレコンサートに出かけるようになったのは妻を亡くした2015年の8月からで,寂しさ孤独感虚無感から一時でも逃れたいためだったのです。妻が健在なら,私に不向きなこのようなコンサートには出かけなかったでしょう。

 プレコンサートは12時開演であり,自転車で自宅を出て10分前に区民ホールに到着すると,50%ぐらいの席が埋まっていました。(開演時には,ほぼ満席になりましたが。)
 これまで観客を見渡す余裕など無かったのですが,今年は精神状態が変わってきたのか冷静?に会場を見渡します。そして,「案外一人で会場に来ている爺さんが多いなあ。」と思い,「多分,孫が出演するので,それを聴きに来ているのだろう。」,「私のように,妻に先立たれて一人暮らしが寂しいから来ている人は何人いるのか。」と変な想像をしました。

  12時からは区民合唱団(爺ちゃん&婆ちゃん)のコーラスが始まり,次は中学生のコーラスです。続いて,中学校3校の吹奏楽部による演奏,高校生と大学大学による5校の演奏と続き14:15に終了しました。迫力のある大音響の吹奏楽は,会場でしか味あえないのです。大学生と比較すると,中高生の演奏技術の差は歴然としていましたが,若者の情熱と真剣さを感じました。
 ただ,今年は私の感情に変化があり,何故だか感動を感じなくなったのです。これも,妻が亡くなって4年目の大きな変化であり,来年の区民まつりに参加するかどうかは判らなくなりました。

 プレコンサート後にはパレードなどのいろんな催しがあるのですが,家族連れが多く一人の私は侘びしいのでスーパーによって帰宅することにしました。久しぶりのスーパーでの買い物だったので,どっさり買い込んで帰宅しました。スーパーに行くのも面倒くさくなっているのです。
一人にてプレコンサート聴きに来るさみしき爺さん以外に多し

 帰宅後にNHKの朝の連続テレビ小説である”半分,青い”を観ました。(金,土曜と2日分の録画です。)第21週は「生きたい!」と言う話であり,予想通り金曜日にはの母親の和子は亡くなりました。亡くなる前に岐阜犬の声を担当していた和子に「あなたの息子で本当に本当に良かった」と感謝の気持ちを伝えた律でした。普段は「和子さん」と名前で呼んでいましたが珍しく「お母さん」と呼び,「面とは向かって言えなくてごめん。ふがいない息子で申し訳がない」と涙を流しながら胸の内を明かすも,その4日後に和子は満月の日に亡くなったことがナレーターによって伝えらる悲しみの展開となりました。

 涙腺が緩くなった私は,目頭を熱くする場面なのでしょうが不思議とが出ませんでした。実話ではない小説の作り話だと感じたからです。
 私自身,意識朦朧とな先が短いと感じたときにも残酷で妻に感謝の言葉を告げられなかったのです。そして,臨終の間際は昏睡状態だった妻が目を開けて私を見つめたときにも,私は「これまで,お世話になってありがとう。」と言う感謝の言葉を告げることが出来なかったのです。また,妻も感謝や別れの言葉を告げることなく,私を見つめたまま息を引き取ったのです。
 これは”気まぐれ日記”にも書いている真実なのです。

 私はこのテレビ小説で知りたかったのは夫である弥一の,妻に先立たれた心内だったのですが,残念ながらそれは描かれていませんでした。23日の放送で「男は弱虫」と言う言葉は何を現しているのでしょうか。妻に先立たれた夫や息子の弱い面を引き出すための,布石ではなかったのですか。私は考えすぎでしょうか?
 また,和子が鈴愛に託した日記の話はどうなったのでしょうか。来週からの放送で私の疑問が解消されるのでしょうか。
2018年8月23日(木) 犬の武蔵
 昨夜はテレビを観ていて,偶然合わせたチャンネルでテレビ大阪制作の番組「和風総本家」(テレビ東京系木曜午後9時)のマスコット犬である豆助の特集番組を放映していました。豆助は唐草模様の風呂敷を首に巻き,愛らしい姿で人気の柴犬の子犬なのです。
 その姿を見ていて,実家で1昨年老衰で亡くなった武蔵(コーギー)のことを思い出しました。この武藏はが幼犬の頃から可愛がっていた犬でした。そして,部屋で飼っていたので部屋中を走り回り悪戯ばかりしていました。
 
 2006年8月に父が亡くなり,自宅に父を連れて帰ると武藏は悲しげに父の枕元に座りじっとしていました。父の死を知ったかのように,おとなしくしていました。
 そして,故郷の奈良県吉野の墓地に父の遺骨を納骨して,お盆の墓参り際に武蔵を連れて帰った時なのですが,故郷に着き車を止めると武藏は我が家の墓石の方に100mほど走っていきました。
 すると武藏は,父の遺骨を納骨した墓石の横にちょこんと座ったのです。広い墓地の,我が家の,父の墓石の横に座ったのは武藏が父がここに埋葬されているのを知っているかのようでした。以前忠犬ハチ公の話も書いたように,犬は育てられた恩義を忘れないのですね。
 その武藏もなくなり,今は実家に遺骨が置かれ弟が祭っています。

 私も犬が好きで,一人暮らしの自分を慰めるために子犬を飼いたいのですが,面倒を見る自信(私が先に逝く?)がないので断念です。

 今日はNHKの朝の連続テレビ小説である”半分,青い”を観ました。(録画ですが。)第21週は「生きたい!」と言う話であり,今日はの母親の和子(重い心臓病)の様子がおかしくなり,異変を感じ取った鈴愛はあわてて店を飛び出して萩尾家に行きました。そして,鈴愛は和子から律の生まれてから成人までの間を書き綴った日記を見せられ「私が死んだらこの日記を律に渡して欲しい。」,「主人(弥一)にも,この日記のことは話さないで欲しい。」,「男は弱虫だから。」と話した瞬間にぐっと来ました。
 公共放送のNHKでも,母や妻の死に対して”男は弱虫”と言っているのです。私だけが弱いのではなくて,世間一般に”男は弱虫”なのですね。
 私の妻も日記を残して亡くなりましたが,3年経った今でも彼女の日記を読むことが出来ず本箱の中に仕舞ったままなのです。
 このテレビ小説では和子が亡くなることになるのですが,その時に律や弥一がこの日記を読む場面があるのでしょうか?

 台風20号が四国に向かってきています。大阪直撃はなさそうで,16時になっても青空が顔を見せていたので眼科医院に眼底検査に出かけました。
 今日も残暑が厳しく,太陽が照っており暑い日です。眼底検査は瞳孔を開いて検査をするので,帰路に明るいと眩しくて嫌なのですが検査が終わった17時過ぎも日が照っており半分目をつぶって帰宅しました。
 今日は天気が悪いだろうと出かけたのですが,失敗でした。

 私のブログは過去の話が多いのですが,未来を考えると不安だけなので仕方がありませんね。
2018年8月22日(水) 残暑厳しすぎ
 今日も夜間頻尿が酷く1時間ごとぐらいにトイレに行くので熟睡できません。どうも,夜間頻尿が酷くなるのはプールに行った夜が多いような気がします。これは,プールで体を冷やすからなのでしょうか。1日の摂取水分量よりも排出量が多いのは,人間の体重の60%水分で出来ており,それが排出されているからなのです。腎不全の場合には,体の他の臓器が休息中の就寝時に尿を作るので夜間頻尿となることは知られています。
 そして,水分排出が少なくなると体が浮腫んでくるので毎日利尿剤を服用しているのですが,体の浮腫が酷くなると5月のように入院治療となるのです。毎日栄養や体重管理をしているのも浮腫の確認の一種であり,体が浮腫むと体重が増え,排尿量が多すぎると枯れて?きます。なお,今朝の体重は56.7kgとここ5日ぐらい殆ど変化がありません。
 睡眠障害と腎不全は関係があるので,腎不全に治療方法が無いのと同様に睡眠障害も治らないのでしょう。

 昨夜も午前2時過ぎに就寝しましたが,このような遅い就寝は今更始まったわけではなく数年も前から,特にになってから続いています。
 今週は,大阪では明日から台風の影響が出そうなので今日はの入っている特養に出かけるつもりでした。そして,かなりの寝不足ですが10時前に起床して朝食を取りました。しかし,体がだるく体調が良くないのです。
 表を見ると,綺麗な青空が広がっており暑そうです。そこで,今日の大阪の最高気温予想を見ると37℃となっていたので,暑い最中かに出かけると貧血で倒れる可能性が多くなるために外出を止めました。

 お盆が過ぎたのに残暑が厳しすぎ,今日の大阪市の最高気温は37.6℃(13:42)と猛暑日となっており出かけなかったのが正解でした。因みに,隣の堺市の気温は39.7℃と異常でした。

 今日も寝不足なので,テレビを観ながら居眠りで起床は13時となりました。
 眠ると体のだるさが治るので,私には決まった睡眠時間が必要なのです。
 起床しても酷い無気力感は治らず,少ししなければならないことがあるのですが,やる気が起こりません。パソコンの前に座り,寝ころんでテレビを観て今日も怠惰な1日を過ごしました。
 ただ今日は,少しだけやる気を出して18時過ぎから肉じゃがを作ることにしました。
 ジャガイモの皮を剥き,タマネギを切り,柔らかくなるまで炊くのは面倒くさいのですが我慢です。いつもながら,私に家事は似合わず苦手です。普通の体なら総菜店に行って,好きなおかず(沢山ある)を購入してくるのですが,それが出来ずに残念です
2018年8月21日(火) 中国との戦い
 妻が亡くなってから私の物忘れが多くなってきた気がしています。特に,最近の記憶が消えていくのです。妻が闘病中には,私がスーパーに買い物に出かけていましたが,その際に忘れたら駄目なのでメモする習慣が付きました。その後,メモを取るのが面倒となりスマホに音声認識でメモって買い物をするようになりました。
 特に顕著なのが,元来得意でなかった人の名前を忘れてしまうことです。10年来の野鳥友達も,名前が出てこないことがしばしばで,テレビを観ていても俳優の名前がさっぱり覚えられません。もっとも,覚える気もありませんが。でも,60歳以上の俳優なら殆ど覚えているのは,昔の記憶だからです。
 夢の中でよく仕事をしていますが,未だにこんなことを覚えているのだと自分自身感心するときもありますが,それも20年以上前の記憶なのです。

 最近直ぐに忘れるのが洗濯です。私は洗濯をした後で直ぐに洗濯物が溜まるのが嫌い,夕方の入浴後に直ぐに洗濯をするようにしています。19日も17時前に風呂から出て洗濯機で洗濯をしましたが,それを忘れており24時頃に”今日は洗濯したのだ”と思いだし,夜中にベランダに干しました。
 昨日は,昼間にベランダに洗濯物が干してあるのを見て”戸入れないと”と思っていたのですが,ベランダ側の障子を閉めてしまうと完全に忘れてしまいました。そして,昨夜寝ようとしていたら,急に洗濯物を思い出して午前1時過ぎから戸入れました。

 このようなことが,ここ最近続きだしたのです。妻が闘病中や,亡くなるまでにはこのような経験はなかったので認知症の走りなのでしょうか。最近の記憶が消えていくのです。その気になって考えれば,日記の書き方も狂い始めたような気がします。昔は,もう少し文筆が立った気がしていますが。

 19日より,連夜アジア大会の競泳の試合を見ています。競泳は日本と中国の戦いと行っても過言でなく,日本人の金メダルを阻止するのは全て中国人です。ある解説者が言っていました。「中国の人口は日本の10倍以上あるので,強人間が10倍居て当然だ。」日本は”冨士山のトビウオ”がいて水泳王国でしたが,今や中国に席巻されています。

 私は阪神タイガースのファンであり,巨人は永遠のライバルであり嫌いです。そして,私は日本人であり日本のファンであり中国が大嫌いです。GDPが日本を追い抜いて世界2位(日本の2.5倍)になったと大国ぶりの横柄な態度(特に臭禁屁は胡散臭い)で世界制覇を企んでいるようだが,一人当たりのGDPは世界の中レベルの国なのです。
 人口が多いと言うことは,それだけ金持ちも多いが馬鹿の数も多いのと,日本より全体的生活レベルが低いので馬鹿の数は10倍どころではありません。

 もう,10年以上前になるのですが,私は現役時代に10回以上中国に出張しました。中国には,会社の工場や営業所もあり,そこの中国人従業員とのつきあいもありましたが,日本人のように信用できる人は殆どいなかったです。共産主義が悪いのか,反日教育のせいなのか気が合いあいませんでした。
 中国から部品を購入したことがあるのですが,その品質(品質管理)の悪さに辟易として使用したくなかったのです。私は社内で嫌中の過激発言を繰り返したので,上司から良く叱責されました。
 いまだに,このトラウマから抜けることは出来ず,今でも中国製製品は信用できず,食品などは”毒を食らう”覚悟が必要と絶対に買いません。WEBでいろいろ流れている中国情報を総合すると私の考え方は間違っていないと思います。

 話は大きくそれましたが,競泳女子の池江璃花子選手18歳なのにすごい選手ですね。20日は金メダル2個を目標にして,そしてそれをやり遂げました。インタービューでの発言でも18歳の高校生とは思えない,しっかりした意見を持っており感服しました。私は目を見て人間性を判断しますが,彼女の目は輝いていました。
 手前みそですが,妻の目も輝いていました。目は人間の心の窓なのです。

 今日も火曜日なので13:30にプールに行くために自宅を出たら,突然大粒の雨が降り出したので傘を取りに戻りました。スポーツジムのプールではいつものトレーニングをこなし,更衣室で着替えをしようとしたらロッカーの暗証番号****を受け付けず扉が開かないのです。何度も使用しているロッカーであり暗証番号を間違うはずがないのですが,ひょっとすると番号を記憶させるときにキーを押し間違えた可能性もあるのです。
 どうしても開かないので,係員を呼びマスターキーで開けて貰うことにしました。プールからの帰路では,患者の多い整形外科医院に立ち寄りたいので時間がないのです。5分ほど待って,やっとロッカーを開けてくれましたが,記憶していた暗証番号が間違っていたかどうか判らないとのことです。
 私は,自分が間違ったとは認めたくない(ここまでの呆けを認めたくない)ので,原因はロッカーのキーが狂ったこととして急いでスポーツジムを出ました。

 ジムを出て京橋駅に向かおうとしたら,突然雨が降り出しましたが傘を出すのが面倒くさいので濡れて歩きました。今日の大阪は36.8℃の猛暑日であり,雨上がりの後の晴れ間は非常に蒸し暑かったです。整形外科は,何とかいつもの時間に入り診察番号は11番でした。
 今日も,まとまりのない無茶苦茶な内容になりました。この文章から???と判断できるでしょうか。
2018年8月20日(月) 8月は嫌いだ
 昔から8月と言えばお盆があり夏の終わりを感じるので,何となく寂しい感じがしていました。しかし,が亡くなってからの8月にはお盆があり,妻の誕生日があり,月命日がある悲しい月になってしまったのです。でも,一番嫌いな月は妻が亡くなった3月で,桜が見頃となる3月末は特別嫌いです。
 昨日は妻の誕生日祝いを二人だけで行いましたが,また1歳私と妻との歳が離れてしまいました。妻は66歳のままであり,年老いて朽ちていく姿はないのです。一方,私の姿は急激に老化が進んでおり”よぼよぼの爺さん”状態になったと自覚があります。腰痛と筋肉まで痩せてしまって,危なっかしく歩いている姿がそれを証明しています。

 昨夜はお寿司を食べて,飲めないのにグラス一杯のビールを飲みました。22時を過ぎた頃から,胸焼けがするようになり,やがて胃が痛くなってきて無性に喉が渇いたのです。この症状は塩分の摂りすぎ時に起こる体調変化で,薄味になれてしまった体は強い塩分を拒絶するようになったのです。
 昨日購入してきたお寿司は,妻に1/3ほど供えたので私の食べた量は多くないのですが,恐るべき寿司でした。

 今日も10時前に起床して,いつもと同じように朝食を摂ったのですが腹具合が悪くなり昼食を食べる気が起こらないのです。朝の体重は8月16日に56.0kgの最低値となったのですが,今日は56.8kgまでになっており下げ止まったようです。
 BMIの計算では”普通体重”の分類ですが,適正体重は61.4kgのようです。

 今日の大阪は猛暑日に手が届く34.5℃まで気温が上がり,秋を感じるには未だ先のようですが,私自身は気温(エアコンの効いた部屋にいる)に関係なく無気力のままです。嫌いな8月も,8月31日の妻の月命日のお寺参りで終わりです。
 早く涼しくなって,綺麗な野鳥か花の撮影を体が動く内に楽しみたいものです。
2018年8月19日(日) 妻の誕生日
 昨夜も精神安定剤睡眠導入剤を服用したのですが寝付けず,結局眠りに落ちたのは午前3時半を過ぎていました。そして,何度もトイレに行って結局起床できたのは10時半過ぎで寝不足です。
 朝食後は少しテレビを観て30分ほど居眠りして13時に起床です。
 今日は妻が亡くなってから,4回目彼女の誕生日となります。14時半には,二人だけの誕生祝い用に,ケーキとお寿司を買いに守口の京阪百貨店に出かけることにしました。
 私だけのケーキや寿司であれば,近所のスーパーで購入すればよいのですが,妻は有名店の品ではないと食べてくれないのでわざわざ電車に乗って出かける必要があるのです。
 
 百貨店では,妻がフルーツケーキの次に好きであったプリンも買おうとモロゾフのプリンとケーキを購入するため店舗を探しましたが見つけられず,”ユーハイム”でプリン,イチゴケーキ,シュークリーム,そしてカステラを買いました。
 本当は,妻が好きだったプリンは”神戸プリン”であり,2015年2月9日に藁にもすがるつもりで兵庫県相生の医療センター重粒子線すい臓がんを治療するために診察を受けたのですが,手の打ちようがなく失意の帰路で新幹線待ちの間に妻が買ってきたのがこのプリンでした。
 6個の箱入りプリンを妻は余り食べることが出来ず,2月18日に再入院となり3月31日に他界したのでした。妻が残していた神戸プリンは,妻が他界後に廃棄しました。
 次は,妻がしばしば購入していた”もりひろ”に行きウナギと穴子などの詰め合わせ寿司と太巻き寿司を購入です。今夜はこの寿司を妻と一緒に食べたいのです。
 
 帰宅後には買ってきた品を妻の写真の前に置き,コーヒーを入れて「今日はあんたの誕生日やな。」,「ぎょうさん買うてきたから食べてな。」,「神戸プリンやないけどプリンもあるで。」と話しかけです。

 今日の大阪の最高気温は33.0℃だったのですが,寝不足のためか体調が悪く百貨店に行ったので沢山汗をかき16時半に入浴しました。
 夕食は妻の写真のある居間で摂ることにして,買ってきた寿司を取り分けてエビスの瓶ビール(妻の拘りのビールです。)をグラスに注いで供えてソファーの妻の定席に座りました。そして,私はアルコールに弱いのですが同じようにビールをグラス注ぎ「誕生日おめでとう。」と乾杯しました。妻の写真を見ながらお寿司を食べていると,妻が亡くなったのが信じられなくなりました。もう,妻が亡くなり3年が経過したのに未だにこのように感じるのは,私が精神が壊れてこけているのでしょうね。妻は”ハワイ旅行”に行っていると考えていますから。
 いろいろ妻のことを考えていると,寂しくて今日も目頭が熱くなりました。

居間にある亡き妻定席ソファーにて共に寿司食べ誕生祝う
飲めぬのに亡き妻誕生祝いにとエビスビールの祝杯侘びし
人は皆共に支えて生きていく支えの妻がなき吾こけた

”という文字は支え合って生きていることを現しています。妻は私の大きな支えであったが先に逝って支えがなくなった。
2018年8月18日(土) 妻に蘭を飾る
 昨夜は,今日は天気が良く余り暑くなさそうなのでカメラを提げて,いや交換レンズも必要なのでバッグに入れて担いで鶴見緑地に花の撮影に行こうと考えていました。しかし,寝付けたのは午前3時を過ぎており,起床できたのは10時半前でした。朝食を摂り表を見ると青空が広がっており,暑そうだったので予想気温を見ると32℃となっていたので止めることにしました。
 そして,今日もまたもや横になり居眠りで起床したのは12時過ぎでした。

 テレビを観てパソコンの前に座っていると15時前となったのでスーパーに出かけることにしました。明日は妻の誕生日なのでお祝いの果物を買いたかったのです。私はお供えとしてミカンやリンゴを買ってきても,皮を剥いて食べるのが面倒くさく廃棄します。
 そして,妻は安いものが嫌いだったので,私も妻をまねて品名など気にせず一番値札の高い品を買います。今日は桃1個,梨1個,バナナ1本をお供えとして購入して,私用に白菜1/4切り,ほうれん草4束1袋,カット野菜サラダなど野菜を購入です。
 そして,野菜炒めを作るために減塩ハムと減塩ベーコンを購入し,後は3個入りヨーグルト2パック,一番値段が高い食パン6枚切り(218円だが),昼用のパン,朝食用のミカン,パインアップル,桃の缶詰を購入して終了です。

 次は,いつものお花屋さんに行きました。明日の誕生日を祝う花が欲しかったのです。
 私はいつも花選びに悩みますが,絶対に買わないのは百合の花です。なぜなら,妻の葬儀の様子を思い出させるからなのです。
 お花屋さんの店に入り,奥さんに「妻の誕生日に花を飾りたいのですが。」,「妻の写真に供えたいのです。」と言うと,「お優しいのですね。」と言われました。
 奥さんはブーケの製作中だったので,奥にいたご主人を呼ばれ「誕生日に,奥さんの写真に飾る花を希望されてます。」と伝えました。これだけで,妻に先立たれたと言うことが判るのでしょう。
 まず,本日入荷したようなシンビジウムを勧められました。私は”いかにも蘭”という花は余り好きではないのですが,この花は気に入ったので1本選びました。そして,トゲがあるから仏壇には供えないと言う赤いバラとオレンジのバラを選び,カーネーションも購入です。
 花の包装をしている間に,旦那さんや奥さんと妻のことをいろいろ話しました。「妻は3年前に亡くなりました。」,「近所の**診療所は藪医者で,妻が歩けなくなるほど重篤になっても通院をさせました。」,「あんな医者に診て貰った,治る病気も治らない。」と日頃思っていることをぶちまけました。
 奥さんは「私が亡くなったら,このように花を飾って貰えるやろうか?」とご主人に聞くと,ご主人は「わしの方が早く死ぬから,大丈夫や。」と話したので,私は「人間みたいなん,何が起こるか判りませんよ。」,「私の妻もあれほど元気だったのに,体調が悪くなって4ヶ月で亡くなりました。」,「大きな病院に連れて行って,すい臓がんで余命3ヶ月と言われました。」,「まだ66歳でした。」と言いました。
 すると奥さんは「未だお若かったのですね。私と同じ年です。」と言われました。
 その他,ご夫婦といろいろ話をして店を出ると,ご主人が私を店の外まで見送りに出て「気を付けてお帰り下さい。」言われました。

 自宅に帰り,早速花を飾り写真の妻に「明日あんたの誕生日やろ。」,「初めて蘭を買うてきてん。」,「果物も買うてきたから。」と話すと,今日も寂しくなりました。明日は百貨店に行きケーキか妻が好きだったプリン,そして一緒に食べるために夕食用の寿司を買ってきて,エビスビールで妻と乾杯して誕生日を祝う予定です。

 夕食を準備する気力が亡くなったので,腎臓食用の冷凍”ヒレカツ&肉じゃがコロッケ”御膳と昨日半分食べたハム玉子入りの野菜炒め,そして心臓食用のソース明太をご飯にかけて済ませました。
2018年8月17日(金) 秋が来た?
 昨夜(今朝?)は2回しかトイレに行かなかったが,トイレ後の寝付きが悪く8時間寝たつもりでも眠たくて仕方がなかった。従って,いつものように朝食後はテレビを観ながら居眠りです。熟睡は出来ないので何時間寝ても眠たくて,何とか起床したのは13時前でした。
 しかし,何か気持ちが悪く昼食を食べる気が起こらないのです。今朝の体重は少し戻り56.3kgとなっていましたが,何か食べないと,また痩せてしまいます。面倒くさいのですが湯を沸かし,その中にを入れて皮を剥きやすくして食べました。そして,カステラ1切れも食べて昼食は終わりです。

 昼食が終わっても気持ちが悪く横になっていました。昨日メンタルクリニックの予約を変更したのが正解で,とても地下鉄の駅まで約20分歩いて通院する体調ではありませんでした。
 15時を過ぎてから体調が普通に戻ったので,16時過ぎに整形外科医院に出かけるために玄関に出ました。すると,昨日とうってかわって寒いぐらい涼しいのです。いっぺんに”秋が来た”と思いましたが,この気温は一時的なもので残暑は厳しいようです。
 なお,私の生活はとっくに”飽きが来た”なのですが。

 盆休み明けてあって,整形外科医院は患者で溢れています。私の受付番号は10番だったのですが,続々と患者が詰めかけており”リハビリ”だけを受けに来ている老人が多いのです。リハビリだけなら整骨院の方が良いのですが,医院の方が安い(老人なら210円)ので暇つぶしに来ているのでしょうか。
 今日は膝へのヒアルロンサンの予定だったののですが,針が太くて痛い(恐がりだから余計に)ので針が細い腰と同じのトリガー注射としましたが,痛さは減ってもやっぱり痛いです。そして,腰への注射を行いリハビリですがマッサージの待ち時間が20分もあったので,腰の牽引と暖めるだけで帰宅しました。

 私は毎日夕食の献立に悩みます。3月ぐらいまで食べるものがなく,頻繁に総菜店に出かけ普通のおかず(塩分の少ないと思われる)を食べていたら脚の浮腫が酷くなり入院したのでした。それ以降,タンパク量や塩分が明確ではない食事は摂らないようにしたら浮腫がほとんどなくなりましたが,体重も少しずつ減ってきています。
 私は作れるおかずのレパートリーは少なく,腎臓食用のレトルト食品が主となりますが,今夜は昼食がカロリー不足だったので豪華?にしました。
 献立は腎臓食用の煮込みハンバーグとカボチャのポタージュスープ,そしてハム玉子入りの野菜炒めを作り冷や奴を付けました。これが私の限界です。
2018年8月16日(木) こんな人もいるのだ
 昨日の夜のニュースで,山口県で3日間行方不明だった2歳の子供78歳のボランティアの方に発見されたことを報道していました。私は,そのニュースを見ていて思わずほろりとしました。その場面は,子供を引き渡した際にお礼にと,祖父から風呂を勧められたとき「私はボランティアだから,そういうのはもらえません。」と辞退した場面でした。
 こんな人も,日本にはいるのだと感動の涙でした。

 このボランティアの方は,大分県で65歳まで魚屋さんをされていた方で店を閉めた後に「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい。」と思ったからだとボランティアになった動機を話されました。立派な考え方の持ち主で,聖人に値し尊敬だけでは語れません。。
 助ける相手側に迷惑をかけないのが信条であり,「自己完結するのが真のボランティアだ。」と言う人で,活動費は自分の年金から捻出しているそうでした。国民年金だから,その金額はしれていると思いますが,災害があった場合には何処にでもボランティアとして駆けつけているようです。
 
 この方は家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします。」と約束していたそうです。
 そして,「口約束も契約。警察が"渡してください"と来たけど,"イヤです"と言った。言うたことは守る。
 なんぼ警察が来ようが,大臣が来ようが関係ない。
 子供の顔を見せたときは,お母さんはもう声が出なかったな。
 あの嬉しそうな顔は,一生焼き付いて離れんだろうな。」と振り返り,「人の命って重いから,何かお手伝いさせてもらえいたいなと思って参加した。尊い命が助かってよかった。"おいちゃん、ここ"と言った時は嬉しかった」
涙を浮かべていた。
 自分の信念を貫いた,このような話もほろりとしますね。

 以前,私の勤めていた会社の工場勤務(機器組み立て)をされていた人から話を聞きました。「会社を定年退職してからボランティアをしてるんや。」,「大会社に勤めていた偉いさんが定年後にボランティアに志願してきたが,コピーの取り方も知らず自分の世間知らずを恥じて止めていった。」と聞かされました。コピーなどの日常業務は,全て部下達がやっていたので世間的な常識がなかったのでした。その点,工場で汗水を流して働いていた人は機転が利きボランティアには向いていたのです。
 
 私の高校時代の親友も,定年退職後に介護士の資格を取りボランティアとして働いていると,我が家ののお参りに来てくれた際に話してくれたのを思い出しました。
 私は肉体的のみならず,精神的にもボランティアはできません。
 昨日の方は私より年上の老人(失礼!)なのですが,私のように連日肉体的,精神的な泣き言ばかり言っている弱い人間とは違いますね。でも,私はあの人を見習って強くなる自信はありませんが。

 今日も何度もトイレに行き,リアルな仕事の夢で10時過ぎに起こされました。今日の夢は,変圧器の1次巻線の電流のばらつきが大きく構造上の欠陥があるはずなのですが,それが判らず目覚めた気分の重い日でした。なぜ,今頃,この歳になって仕事で苦しむ夢を見るのでしょう。多分,馬鹿だから現役時代の実力が出るのでしょう。

 昼前に,もう盆休みは終わっているだろうと自転車で近所の内科医院に出かけました。今朝の体重も減っており56.0kgとなってしまいましたが,この医院で医師の診察を受けても答えが出そうにないので薬だけを貰って帰宅しました。
 そして,明日は睡眠障害の治療?のために15:00にメンタルクリニックの予約を入れていますが,前回貰った鬱病の薬は効果が無く,かえって精神的に気持ちが悪いので予約を延ばしました。仕事の夢ばかり見るのも,鬱だと診察されたのは正しいのでしょうか?
2018年8月15日(水) 戦後73年
 今日は73回目の大東亜戦争の終戦記念日(敗戦記念日)です。テレビで終戦記念日のいろんな特集を行っており,議員の靖国神社への参拝の様子も映されていました。ヒツコイいや狂った中国,韓国から批判されますが,日本人の心なので無視すれば良いのです。閣僚の参拝がなかったのは残念ですが。
 また,昨日は韓国が”従軍慰安婦日”として法制化して,日本大使館前でもいつもの抗議活動をしています。韓国は”恨の思想”の国であり,国家を上げて中国と共に反日教育をしているので1000年経っても恨みは忘れないと言っています。これも,朝日新聞の捏造記事が発端となっており,日本人の恥を晒してくれています。
 因みに,私は””でも””でもないノンポリですが,日本が好きです。海外出張で日の丸を見ると安心感があり,中国人と間違われると非常に腹が立ちました。

 でも,私自身として,未だに信用の出来ない国はロシアです。日本の敗戦が濃厚となった1945年8月9日にロシアが”不可侵条約”を一方的に破棄して,日本に攻撃してきました。そして,日本の無条件降伏後にも攻撃を続けたのです。真岡郵便局を守った二十歳前後の女性の物語である「氷雪の門」がロシアの残忍さを示しています。また,日本が敗戦後も多くの日本人をシベリアに抑留し奴隷として働かせた(殺した!)のは,ロシアが世界一の”非人道国家”の証明でしょう。1983年大韓航空機がロシア上空でロシア軍戦闘機により追撃され269人の死亡した。2014年7月にもウクライナ東部でマレーシア航空機がミサイルで撃墜されて298名の死者が出たのもロシアによる仕業です。ロシアは現在でも世界一残忍な国家で,絶対に信用してはならない国なのです。日本から一方的に略奪した北方領土も,あの国では返還する可能性は低いです。

 私は戦争を知りませんが,子供の頃の昭和30年ぐらいまでは大阪にも戦争の生々しい傷跡が沢山残っていました。現在のJR環状線森ノ宮~京橋駅間は軍需工場(大阪陸軍造兵廠)があり戦時中はB29の爆撃を受けて,その焼け跡が長く残っていました。
 今や,その場所はオフィス街に変わってしまい,昔の姿は全く感じませんが終戦前日の昭和20年8月14日には京橋駅のB29の無差別攻撃により500~600人が犠牲になったとされています。(画像は大阪城の近くに今も残っている造兵廠です。)

 また,現在の場所には40年以上住んでいますが,近くに従姉妹である有里ちゃんの家があって子供の頃はしばしば遊びに行っていました。
 その家から1kmぐらい離れた野原には高射砲陣地がありB29を砲撃していたようでした。子供の頃は,その時の薬莢を拾いに遊びに行っていました。
 因みに,有里ちゃんのお父さんは戦死でした。

 昨夜は夜間頻尿が非常に酷く1時間ごとぐらいでトイレに行くので,全く熟睡が出来ませんでした。7時間は眠ったつもりで10時前に起床したのですが頭痛がして非常に眠く朝食後は寝たままでした。

 体調は,昨日と大きく異なり最悪の日でした。朝の体重も,また少し減っており56.2kgと56kg割れ間近となりました。ある人からは「ガンと違うか?」と言われましたが,もうどうでも良い年齢です。

 終戦記念日とは関係ありませんが,今日は本来の気まぐれ日記となりました。
2018年8月14日(火) お盆のプール
 昨夜は午前1時過ぎに消灯したのだが,睡眠導入剤(腎臓内科処方)服用しても寝付けずまたテレビの深夜放送を見て再び消灯したのは午前3時を過ぎていました。
 このところ夜間頻尿が酷く2時間も眠れずトイレに行きたくなるので辛いのです。特に昨夜は,お粥を食べたのと,お茶の飲み過ぎ,ブドウ(巨峰)を沢山食べたのでトイレの回数は多かった。
 そして,今朝は10時過ぎに起床して朝食前の体重を量ると56.4kgとまた少し痩せていました。牛丼やうな丼を沢山食べたので太っているかなと思ったのですが,まだカロリー不足のようです。

 お盆の間は,医者に行く予定もなく自宅に籠もってテレビばかり観ているはずなので,15年以上会員となっているスポーツジムプールに行こうと考えました。そこで,まさかジムも盆休みではないかとNET検索すると,明日から3日間休みとなっていました。
 最近腰痛が酷くなっており,パソコンの前に1時間以上座っていると,次に立ち上がって歩くときに腰に激痛が走るのです。暫く,腰をかがめて歩くと治ってくるのです。週に2回腰への注射を行っていますが効果があるのか疑問に思っています。
 水中運動なら腰痛を感じないので,腰の筋肉をほぐすためにお盆に初めてのプールに行こうと考えたのです。

 いつものように13:30に自宅を出るときには青空が広がっており36.7℃の猛暑日でした。帽子をかぶり駅まで歩き,京阪電車の京橋駅に着くと雷鳴が鳴り響いていました。スポーツジムまでは徒歩5分ほどなので,その間に雨が降るなよと思いながら急ぎました。
 水着に着替えてプールに上がると(6階)突然のすごい雷雨です。もし,雷雨が10分ほど早ければ,私は駅で足止めをくらいプールは中止になったでしょう。

 今日のスポーツジムは盆休みが多いので,顔ぶれが変わって若者が多くなっていました。いつもは,殆ど爺さん,婆さんだらけなのにね。プールでは通常のプログラムだったので,水中ウオーキング(15分),アクアビクス(45分),クールダウンのためのゆっくり泳ぎ(50m),そしてジャグジーとスチームサウナで体を温めるいつものコースです。
 いつもなら,帰路で整形外科医院に立ち寄るのですが,盆休みのために自宅へは16:15に帰宅しました。

 昨日,お粥を1合炊いて半分残っているので,妻にはお粥の上にちりめん山椒(妻が好きだった)をまぶしてお供えします。そして,私は栄養をつけるために他人うどんを作り,お粥,ホーレンソウのベーコン入り玉子とじとで夕食を摂りました。
 痩せすぎると,筋肉も痩せて転倒しやすくなるのと腎臓にも悪いのです。
2018年8月13日(月) 不思議な電話
 今日は昼過ぎに枕元の携帯が鳴りました。野鳥友達からであり,「電話をくれた?」と携帯に私からの着信が入っていたとのことでした。私は電話をした覚えもなく「電話してないですよ。」と応えました。そして,「お盆やから,お化けが私の番号を使用して電話を入れたのでは。」と冗談を言いましたが。
 だが,その人は病院から電話しているようで,奥さん(私より年上)が現在内視鏡で胃ガン手術中とのことでした。定期検診で胃ガンが見つかり,手術に至ったそうですが胃の2カ所に癌が見つかっており,手術時間は4~5時間と長いそうです。

 でも,この人には息子もいるので手術が終わるのを待っているのは,一人ではないと思います。一方,すい臓がん以外にも何度も手術をしていますが,手術が終わるのを待っていたのは私一人だけで,気弱な私は非常に心細かったのを思い出しました。

 この人は,ケセラセラの性格であり何事も”何とかなる”と強い性格の人です。私が妻を亡くして1年以上経って我が家に遊びに来たときに,私に「一人暮らしは気楽で良いなあ。」とぽつんと言いました。その時に私は,”なんと言うことを言うのだ”と非常に腹が立ちました。

 その後,先日に「家族が居ると心配事が多くて嫌になる。」と弱気なことを言ったことがあったのです。奥さん(交通事故にあった)や子供に心配事がありそうでした。
 私も妻と二人だけで過ごしていても,妻が怪我をして帰ってきたり,手術をしたりと心配事がありました。そして,妻が私を一番心配させたのは”すい臓がんで余命3ヶ月”を宣告されたことであり,宣告通り妻は他界しました。
 現在は,自宅では一人なので自分のことを気遣っていれば良いだけなので,「一人暮らしは気楽で良いなあ。」と言った意味が悪意ではないことが判りました。でも,妻に先立たれた老人の気持ちは,同じ境遇にならないと理解できないでしょう。悲しくて,非常に寂しいことを。

 電話を切った後で,まさか私に惚けが始まり無意識に電話を入れたのかと発信履歴を見ましたが,履歴がなかったので私は正常でした。私が電話をしたと勘違いしたのは,奥さんが手術中で心配なので勘違いしたのだろうと思うことにしました。
 現在は,二人に一人がガンになる時代であり,胃ガン,大腸ガン,肺ガンは”治るガン”となっています。一方,先日沖縄の知事が亡くなったのは最悪のすい臓がんで,このガンは発見されるとまずは助からないガンであり,その苦しさは一人で妻を看取った私が一番良く知っています。

 私は妻が亡くなってから妻を偲んで”亡き妻に”の短歌を詠もうと,ある時に図書館に出かけて,他の人の歌を読んで思いました。
 私の心境に合った歌を読みたくて”家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日”(家族って何だろう…。2010年に64歳でガンで他界した,妻であり,母である河野裕子と家族が詠んだ歌とエッセイ63編を収録。息を引き取るまで,互いに心の手をのべ,絆を確認し合った歌人一家の感涙のドキュメント。) を読みました。
 その本には,夫や子供の短歌と共に息を引き取る様子や,その後の生活が書かれており妻を思い出して目頭が潤むときもありました。
 河野裕子
の最期の歌は”手をのべてあなたとあなたに触れたときに息が足りないこの世の息が”でして,私が妻の手を握り,薄目を開けて私を見つめ妻が息を引き取った時のことを思い出したのでした。
 また,その本の中で妻が息を引き取った際に何も言えなかった夫の話が有りました。
 私も,その光景を真似て「息をやめ静かになりし妻を見て声かけられぬあの日を思う」を作りました。
 
 また,夫の歌に「あほやなあ笑いのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない」にも心が打たれました。我が家での妻の定席であった居間のソファーには,座るべき妻がゐないのです。私に「あほやなあ」と言ってくれた妻が居ないのです。
 上記の2歌と比較して私の詠んでいる短歌は,やはり散文の域を出なくへたくそですが,これが私の限界なのです。

 今日はお盆の入りであり,妻(霊)が絶対に自宅にいるはずなので夕食にお粥を炊いて海苔の佃煮をのせました。そして,麦茶と一緒に妻にお供えし,「おかいさん炊いたで。」,「熱いから注意して食べや。」と話しかけました。
 お粥と海苔の佃煮は,妻が最後に口にした,私が食べさせて上げた食事なのです。その翌日から妻は昏睡状態に陥り,次の日に他界しました。従って,お粥は想い出の食事なので,祥月命日やお盆には必ずお供えします。日本中で,お盆に”お粥”をお供えするのは私だけでしょうね。
2018年8月12日(日) 独りぽっちのお盆
 例年のように,弟夫婦を連れて嫁の実家がある和歌山県串本に帰りました。4年前のお盆にはが自宅にいましたし,2年前までは高齢の母を実家で一人にしておけず私が泊まりに行きました。その母も,昨年2月に介護施設に入ったので私は一人で自宅に居ることになり,今年で2回目独りぽっちのお盆を迎えようとしています。

 お盆には,家族がいる家庭では子や孫が自宅に帰ってきて,賑やかにお盆を迎えようとしているのでしょうが,私には妻以外家族が居なかったので寂しいものです。
 昨日,スーパーで妻へのお供えを購入しましたがお盆には寂しいので,今日は14時過ぎから妻が好きだった京阪百貨店に出かけることにしました。今日の大阪は猛暑日にもう少しで手が届く34.7℃であり,炎天下の暑い最中に駅まで10分ほど歩いたので汗が滲んできました。

 守口の京阪百貨店の地下食料品街は多くの人で溢れていました。お盆の帰省をねらっての美味しそうなお寿司が沢山並べられていましたが,私には目に毒です。有名焼き菓子店には行列が出来ていたので,割と空いていたギンソウで小さなカステラと焼き菓子を購入しました。

 暑い中に百貨店まで来て,このまま帰るのは勿体ないので体力をつけるためにウナギを買おうと売り場に行きました。当然,中国産には目も触れず愛知県三河産炭火焼きウナギ中1尾を購入することにしました。価格は3600円と高価でしたが,年に何度も食べられず,後何回食べられるのか判らないので贅沢ではありません。

 帰宅したのは15時過ぎでしたが,久しぶりに汗びっしょりとなったのでシャワーをかぶりました。これで,今日の入浴は止めです。
 昨夜に続いて,今夜も丼でウナギの蒲焼き70~80g(タンパク14~16g)を使用してうな丼を作りました。ウナギの加熱方法は一旦タレを熱湯で流し,フライパンにお酒を入れて弱火で3~5分煮込みます。これで柔らかいウナギとなります,付属のタレは減塩のため少なめで山椒で誤魔化しです。
 そして,夕食にこのうな丼を食べましたが,身が少し固いので半分残っているウナギは後日フォイル蒸しとします。
2018年8月11日(土) 赤いほおずき(鬼灯)
 今日も昼寝をして14時前に起床です。そして,16時前に妻のためのお盆の品を購入するためにスーパーに出かけました。
 スーパーではお盆商品が入り口近くに並べられており,桃,ブドウ,梨,バナナを詰め合わせたお供えセットが置いてありましたが”お供え”と書かれたシールが貼られているのが気に食わずバラ買いすることにしました。
 私が妻に供えるのは勝手ですが,”お供え”と書かれた果物は妻が亡くなって,もう帰ってこないことを現していると感じたからです。
 バナナ,ハウスミカン,そして妻が良く買ってきていた葛まんじゅうを選びました。その他は,私用の食料で大根(半分),レタス(1/4),ほうれん草(3束),カット野菜サラダを料理用に選び,エネルギー増強用に玉子(4個入り),しゃぶしゃぶ用国産豚肉(100g),減塩ハム,減塩ロースを購入です。
 その他,パンやヨーグルトなどを沢山購入しました。

 そして,次はいつもの花屋さんに寄ってほおずき(鬼灯)とその他の花を沢山購入しました。
 鬼灯は1本800円していましたが,私は妻が亡くなってからお盆には必ず飾ります。ほおずきには幼い頃の想い出がたくさんあり,夏に帰郷すると赤くなったほおずきを探してほおずき笛を作っていました。作り方は,近所のねーちゃん(美人?・・・忘れましたが)から教えて貰ったのですが,実の中の芯を抜く際に破れてしまって失敗が多かったです。
 ほおずき笛は口に含んでならすと苦くて,ねーちゃんに焦がれていた甘酸っぱい想い出も呼び起こします。

 また,お盆になると必ずほおずきを仏壇に供えていたのです。お盆にほおずきを飾る理由は3つの理由があるそうで,
1.提灯に見立てた道しるべ
 その色と形から,ほおずきは自然界の提灯として,お盆に飾られるようになったそうです。お盆に飾る提灯は,故人があの世から帰ってくる道しるべとなるそうです。
2.ほおずきの空洞に宿る
 仏さまになった故人には体がありません。そこで仏さまは,中が空洞になっている場所に身を宿して過ごすといわれているそうです。
3.お供え物を華やかに
 今ではスーパーへ行くと何でも買える時代になりましたが,昔はそうではありませんでした。農作物が不作の時など,お供えものに彩りを与えていたのが,ほおずきだったそうです。

 最後の,花屋さんの隣の精肉店により佐賀牛のすき焼き用ロース3枚(約170g)とおやつにカボチャのコロッケ1個(70円)を購入して帰宅しました。
 帰宅して,ほおずきと花を飾り,お供えをしました。そして,ほおずき1個をちぎって玄関に置きました。妻の霊はずっと自宅にいるはずですが,出かけて自宅が判らなくなったら困るので提灯代わりに置いて,道しるべとしたのです。
 お盆を迎えるに当たって,このような準備をしていると無性に妻が恋しくなり,逢いたくて,寂しくて落ち込みました。
 今夜はタンパクオーバーになりそうですが,牛肉100gで牛丼を作りました。やはり,高級肉は美味しいです。

お盆には帰ってきてと鬼灯を玄関におき一人妻待つ
鬼灯を提灯として道しるべ吾待ちたるを妻に知らしむ
鬼灯は幼き頃の想い出の郷愁感ず笛のにがさに

2018年8月10日(金) まだ痩せる?
 またもや不眠症が酷くなり精神安定剤睡眠導入剤を服用してもなかなか寝付けず連日午前2時を過ぎてからの就寝です。そして,夜間頻尿でたびたびトイレに行くので10時過ぎに起床しても眠たくて,朝食後にテレビを観ながらまた寝ます。

 今朝の体重はまた減っており56.5kgとなってしまいました。5月17日の入院時には63.5kgの体重でしたが浮腫の要因も大きく入院で61.5kgまで減り,退院後も徐々に減り続けて,この1週間で1kgほど減りました。
 この調子なら年内に餓死しますね。

 腎不全のこれ以上の進行防止のために厳しい食事制限をしており,なおかつ浮腫防止のために高価な利尿剤(保険適用の2割負担で1錠約240円)を服用しています。
 横になっている時間が長くエネルギーの消費が少ないので指導されている1800~2000kcalよりも低いのが,痩せて行っている原因かもしれませんし,他に要因があるかも。
 でも,一番大きな原因は妻が私を置いて旅立ったからです。妻が健在な頃の体重は76kgぐらいあったのですから。

 浮腫に関してはかなり改善され,食事では塩分(許容6g以下)に特に注意しています。なお,タンパク量は50g以下に制限されていますが,腎不全の進行防止のために30~40gに自主規制しています。ただ,制限がきつすぎると筋肉まで痩せてしまい歩けなくなったら困りますが。
 毎日,1日の食事明細をEXCELで計算して集計表を作り管理しています。このような管理表はお手の物ですが,楽しくはなく侘びしいのです。

 今日はいつもより1分(気分の問題)早い14:04に自宅を出て整形外科医院に出かけました。盆休み前なので,患者で溢れていると思っていたのですが,いつもの空いた日ぐらいで受け付け番号は9番でした。患者が少なかったのは,盆休み前だから待ち時間が長いだろうと敬遠人が多かった?
 腰への注射とリハビリを行い帰宅したのは18:05でした。
2018年8月9日(木) 親友は強かった
 昨夜は20時過ぎにブドウを送ってもらった,姫路大学時代の親友にお礼の電話を入れました。そして,ゆっくり話をしたかったのですが外出中とのことで電話を切りました。彼は会社経営と農業をされており,ゴルフやコーラスと多忙に過ごされています。
 電話を切ってから,暫く話をしていない大阪府堺市親友(大学時代)のことが気になり電話を入れました。彼も昨年4月奥さんに先立たれ一人暮らしをしています。(詳細は2017年12月9日の日記)
 彼は未だに週2日働いており,その他趣味が忙しく「ゆっくり寝る暇もない。」と話していました。そして,彼は奥さんが亡くなる25年ほど前から,奥さんが寝たきりになったので家事全般を行っていたのが私と大きな違いでした。

 従って,自分で食事の準備をするとのことですが,奥さんが亡くなってから外食が増えたのと弁当を購入してくることも多くなったと言っていました。奥さんが闘病中は,”奥さんのために”という目標があったのですが,それが無くなると食事の準備が面倒になったそうです。
 体が健康なので,好きなもを食べられるからこのような生活が出来るのです。そして,2階建ての一軒家に住んでいる居るのですが,一人暮らしとなって居住スペースは1階だけで十分とのことで,2階は不要だと話していました。

 彼は今年の護念会(同窓会)の幹事であり,10月末に高野山の宿坊で一泊する予定になっています。しかし,私は夜間頻尿ベッドでないと起きられない体調,そして食事が問題なので「宿泊は出来ない。」と話をしました。そこで,高野山には夕方登る予定にして,昼食後はどこかの観光を考えて貰い,私は帰宅する検討をお願いしました。これで,私も護念会に参加したことになります。

 1時間ほど彼といろんな話をしましたが,最後に「一人暮らしは寂しいので夜中に叫ぶことはないか。」と聞いてみると,「ないよ。」という応えが返ってきました。同じように妻に先立たれた老人なのですが,彼は強いですね。

 今日は毎朝服用している薬が無くなったので11時過ぎに自転車で近所の内科医院に出かけました。しかし,8日より15日までの長い盆休みとなっており休診でした。まさかこんなに長い盆休みとは気づかずに,服用薬がありません。私が通っている他の医院は11日から15日の盆休みが多いので,「長い休みやな~。」,「服用薬は尿酸血とコレステロールを下げる薬なのでまあ良いか。」と考え帰宅しました。

 今日も睡眠の質が悪く眠たいので12時から1時間ほど昼寝をしました。そして,昼食後に散髪に行こうと理髪店に予約を入れたら15:30しか取れませんでした。仕方がないので,パソコンの前で時間を潰し理髪店に出かけました。
 15年以上通っている理髪店なので,店主やその奥さんと世間話です。奥さんが,今朝私と同じ整形外科医院に行ったらお盆前なのですごい人だったと聞かされました。私は,明日の夕方通院する予定なので,待たされていつも以上にイライラするのが怖いです。

 16:10過ぎに散髪が終わったので,5月に定期検診の予定になっていた眼科医院に立ち寄ることにしました。5月は入院したので検診に行く暇が無く,その後も体調が悪いのと面倒くさいので3ヶ月も伸びてしまいました。
 眼科医院では,最近目やにが多くなったのの診察と定期検診(眼底検査)をお願いしました。
 診察室に通され,医師(女医)から「お痩せになられましたね。」と聞かれたので,5月に入院したいきさつや現在の体調などを話しました。目の検査で「目やにが出ていますね。」,「目薬を処方します。」と言われ,そして「体調が悪そうなので,眼底検査は盆休み明けにしましょう。」と言われました。
 目やには,寝不足や体調が悪いときに出るそうで,眼科医にも私の体調の悪さを気づかれました。因みに,今朝の体重はまた減って56.8kgでした。
2018年8月8日(水) 男の姿
 俳優の津川雅彦さん(78歳)が4日に亡くなったそうです。私より5歳ほど年上ですが,同じ70代ということで親近感がありました。何よりも,今年4月27日に妻の朝丘雪路さん(82歳)が亡くなり,その後の会見で「彼女を残すよりはいい結果になった。」と悼んだのが印象的でした。
 我が儘な私は,そんなことは嫌で妻に”私を看取って欲しかった”です。
 ただ,奥さんに先立たれ後を追うように3ヶ月少しで亡くなられた津川さんを,”これが男の姿”だと羨ましくも思いました。意味深長ですが。

 私は,これまで”男の顔”をみて,その人の性格を判断してきました。そして,今となってもその判断に間違いがなかったと確信しています。
 現在話題になっている,日本ボクシング協会の会長も人相学的にOUTでしょう。まっとうな人間の顔とは思えず,裏ではどす黒い行為があったのでしょうネ。
 今日は会長の辞任会見がありましたが,「私自身が家に帰って、妻に先に相談し、『辞任をしたい』と言って、(妻から)『私はどういうことがあっても死ぬまで面倒見ていくから。今は楽になってください』と言われたので、決意をしました。」と話しているのを見て,これが男のけじめ?かと感じました。やはり私の人相学は当たっています。

 次に,日本人ではないですが臭禁屁は,腹黒さと意地悪さが顔に滲み出ていると思います。あの顔で笑顔を作るとますます,人間性の悪さが表れてくると思いますが。
 最後は日本人でトドが溺死してブユブヨになったような体型で,厚化粧で男の顔を隠して物知り顔で喋っている男の姿を見ると虫ずが走ります。出ている番組は絶対に見ませんし,突然流れるCMに対してはあわててチャンネルを変えます。
 あの150kg近い体重(絶対に臭い!)で,夏場の消臭剤のCMなど何を考えているのでしょうか。この,異常な夏にあの男を使用したCMも異常だと思います。人の発熱量は,体の表面積に比例します。空調設計する場合には,一人の平均発熱量を80wなので,彼は200w程度と思われ猛暑に寄与しています。

 私も一時期90kgを超えた肥満体でしたので人のことは言えませんが,今朝の体重はとうとう57kgを割り56.9kgに減りました。頑張って食事を摂っているつもりですが,ますます体重が減ってきており,やがてひなびて老衰でしょうか。

 なお,以上の文章は”妻に先立たれた老人”の,ひねくれた気まぐれな私見でありどのように感じるかは個人の自由です。

 今日は13時前から母の入っている特養を訪ねるために自宅を出ました。曇ってはいましたが,いままでが暑すぎたので湿度は高いものの久しぶりに涼しく感じました。(今日の大阪の最高温度は,晴れた15:20の31.8℃で,猛暑日から抜けました。)
 特養に行くまでのバス待ちの間にコンビニに立ち寄り,昼食用のサンドイッチと母への手みやげ用にアップルパイなどを購入です。自宅からは小さな焼き菓子を6個持参していますが,母は食欲旺盛なのです。

 特養からの帰路に実家に寄ると久しぶりに弟の孫2人(中学1年の女の子と小学4年の男の子)と逢いました。私は,このような子供と話をする機会が全くないので20分ほど遊んで,17時前に帰宅しました。私に孫でもいれば,いまのような全く無気力な生活はましだったでしょうが。
2018年8月7日(火) 関電よ,お前もか!
 私の現在の生活ではチラシは全く不要DMは殆ど不要です。情報はWEBで入手できるし,その信頼性もある程度確認できます。
 我が家で新聞を止めたのは,すい臓がんで入院中には毎朝の新聞を病室に持っていっていたのですが,それを読む体力が無くなった時に新聞の契約を解除しました。私が嫌いだったのは,新聞紙の量よりもチラシの量が大きく,毎月それを分別して子供会のゴミ収集日に出すのが面倒だからでした。

 新聞を止めてもチラシやDMは沢山入っており”チラシ無断投入禁止”注意書きがあるマンション郵便受け(私有地内)に不法投入されるのです。いつも書いているように,無断でチラシを投入している(胡散臭い奴が多い)は犯罪者で,そのチラシの会社は全て犯罪会社と考えた方がよいでしょう。

 なお,亡くなった後に妻宛のDMが入ったときには,腹が立って,それに朱書きで”死亡”,”返却”と書き捺印後に送り返していたら,DMは減りました。人間が管理をしているのですね。
 そして,妻が亡くなり3年が経過した今でも妻宛のDMが郵便受けに入っていたらチラシと同様に,即座に置かれているゴミ箱に捨てます。
 亡くなった者の個人情報など漏れても良いという気ですが,妻の名前を目にすることがほとんど無くなったのは寂しいです。
 私が一心寺にお参りして,一番太い和蝋燭に大きな字で戒名俗名を書くのは妻がこの世に居たことを参拝者に知って欲しいからです。

 これまで銀行や証券会社からのDMには”親展”,”重要”と表示がありますが,私にとって重要なことは一つもありませんでした。
 8月に入って気にくわないDMは健康保険・介護保険料の値上がりと,年金支給額の低減通知です。生活はますます,苦しくなってきます。特に,高額医療費の見直しは大きく家計を圧迫するのです。病院通いの多い私には大きな問題です。

 先日,関西電力から画像のようなDMが送付されてきました。”大切なお知らせ”で”必ずご確認下さい”と書いてあるので,節電についてのお願いなのかなと思いました。今年の夏の異常な高温に,原発が止まっているために関西電力の発電量が足らなくなり中部電力や東京電力(周波数が違うのに)から電力を援助して貰っているからです。
 そこで,開封してみると電気とガスのセット契約にすると,年間1万円ほど安くなりますの案内でした。私はこのような異業種参入が嫌いなんです。もし,何らかの問題が発生した場合大阪ガスのような迅速なサービスが受けれられるか判らないからです。
 私が一人暮らしを初めて,2回大阪ガスのサービス会社を呼んでいて,対応が非常に良かったからです。金額だけで判断して,契約を変えるのは自己責任です。
 関電からも,重要とは思えないDMを送ってきました。また,無駄な紙が増えます。

 今日も大阪は35.1℃の猛暑日でしたが,火曜日なのでプールに出かけました。金曜日から,殆どの時間横になっているので運動をしたかったのです。動ける内は,動かないと歩けなくなったら,私の人生は完全に終わりです。
 プールではいつものコースをこなして,ジャグジーが修理中だったので長めのスチームサウナに入りスポーツジムを出て,今日も満員(受付番号16番)の整形外科医院に立ち寄り帰宅しました。
 19時過ぎに夕食を食べていると宅配便が来ました。それは,姫路の大学時代の親友からであり,妻が亡くなった年から盆前にはブドウ(巨峰)を送ってきてくれるのです。何も手紙は入っていませんでしたが,”奥さんにお供えして”という気持ちは伝わります。妻の写真の前にお供えして「**(親友)から,今年もブドウを送ってきてくれたで。」と報告しました。
 今年の同窓会は高野山の宿坊泊まりなので,私は参加できないでしょうが,せめて集合場所には行って皆の顔を見ようと考えています。
2018年8月6日(月) ため口は
 3日の金曜日の夕方に整形外科医院リハビリのマッサージ(10分)を行いました。この医院は患者が多く,リハビリだけに来ている老人も多く待たされるのが嫌な私は,待ち時間の限界が20分なので,それ以上ならマッサージをせずに帰宅します。
 夕方は夕食時間を19時までと決めているので食事の準備があり忙しいからです。

 その日のマッサージ担当は20代と思われる,笑顔の可愛い女性だったのです。そして,この女性には過去に何度もマッサージをして貰っている顔見知りなので「また,痩せたんと違う?」とため口で話されたので,私は「痩せてきてるで。」,「そのうちに干からびて死ぬわ。」と冗談で返しました。

 最近横になっている時間が多く,朝食は真面目に食べていますが昼食は抜くことが多いのです。腎臓内科の医師よりは,必要カロリーを指導されていますが寝てばかりなのでエネルギーの消費が少なく,食欲が無くて当然です。朝の体重も,とうとう57kgを割りそうな57.2kgまで減り,自分でも痩せてきたのが判るのです。
 高価な利尿剤も服用しているので,脚の浮腫も判らなくなり体重が減った要因にもなっています。

 老人でも1日の水分量は1L以上とされていますが,私は寝ている時間が多いので,摂取水分量それほど多くありません。水類を沢山飲むと,それ相当の尿量があるのは理解できるのですが,私は腎不全から来る浮腫防止のために利尿剤を服用しているので,沢山尿が出ます。
 人間の体には水分があり,それが排出されるので体重が減るのです。当然,熱中症にもなりやすくなります。

 私がマッサージの女性に「干からびる。」と言ったのは,このような意味があったのです。マッサージを受けながら,この女性とはいろんな話をしますが全てため口です。これが初対面の人であれば”ため口”に嫌悪感を覚えますが,彼女は50歳近く年齢の離れた老人に対する親しみからため口で話をするのだろうと考えていますが。

 私は古い人間であり,小学校時代には道徳の時間があり,年上の人を敬うと言う教育を受けていました。孔子が開いた儒教では,「人は老いるほど豊かになる」という思想を打ち出し敬老精神というものが重視されているのです。現在は,儒教の精神が判らない人が多いようにも感じています。現役時代の私は,部下に年上の人がいれば敬語で接していましたが。

 特に老人になると,ため口で話されることが多くなります。の入っている特養でもしかりでありますが,介護士の人は私には敬語で話します。私も,当然敬語で話し返しますが。
 病院でも同じで,入院中だった妻に対しても担当医(40~50代初めの年齢)は妻を励ますためか”ため口”で「大丈夫や。」,「頑張ろう。」と言っていました。
 そして,私には,敬語で話されるので,そのように感じたのですが。

 しかし,私は医師から”ため口”で話されると気分を害します。別に,私は敬って貰うほどの立派な人間ではありませんが,明らかに私より年下の人からため口で話されるいわれはないのです。因みに,私の腎臓内科の主治医は40代の初めぐらいの医師で,敬語で話してくれます。

 若い女性と話をしていて,そのため口に対して考えてみました。”ため口”の使い方は難しいですね。でも私は,初対面の人からため口で話されると年齢に関係なく嫌悪感を感じますが,老人になると我慢が必要かもね。子供帰りしますから。
2018年8月5日(日) 有里ちゃんからの手紙
 7月28日に従姉妹の有里ちゃんと電話で話をして,24時間ほど保温状態にしておくと炊飯器のご飯がカチカチになると言いました。すると,有里ちゃんから「タッパーに入れて,冷えてから冷蔵庫に入れればよい。」,「そして,翌日食べるときは電子レンジで加熱すれば美味しいよ。」と言われました。
 教えて貰ったのですが,大きなタッパーが何処にあるのか,洗うのが面倒くさいと今まで通りしていたら有里ちゃんから手紙が来ました。

 開封するまで,何の手紙か判らなかったのですが便箋に手書きされた手紙と新聞の切り抜きが入っていました。(画像をクリックすると拡大します。)
 親切に徳島新聞の切り抜きをわざわざ送付してくれたのでした。

 近年,手紙は受け取ることがほとんど無くなりました。私ならEメールで文章を書き,新聞の切り抜きはスキャンして添付ファイルにするのですが。
 Eメールであれば書く人の性格を感じませんが,手書きの文字はその人の性格を現すので人間的な暖かさを感じるのです。

 有里ちゃんの文字は女性らしい優しい文字で書かれており有り難さを感じました。なお,手書き日記(未だに読むことが出来ない)も保管していますが,書かれている文字は強い性格を現しています。

 折角,手紙までくれたのだから妻が買い置いていた大きめのタッパーを見つけ,炊きたての炊飯器のご飯を入れて冷やします。
 ただ,そのタッパーにラップを被せて電子レンジで加熱するのですが,タッパーが電子レンジで使用できるのか判りません。

 NET検索してみると,タッパーの種類によっては電子レンジで使用できないと書かれていました。
 そこで,タッパーの蓋を見てみると小さな文字で”電子レンジで加熱する場合は・・・・”と記載があったので,妻は電子レンジでの使用を考えてタッパーを購入したと判りました。

 私は未だに,妻の敷いてくれたレールの上で生活しているのです。

 昨夜は神経が高ぶって寝付けず、寝付いたのは午前3時半を過ぎていました。
 当然今朝も起床できず、11時半に一旦起床して朝食を摂りましたが、12時過ぎから昼寝でベッドを出たのは14時前でした。

 昼食を食べる気が起こらず、を食べました。皮を剥くために熱湯に15秒ほど浸けて、水で洗って包丁を入れると簡単に皮むきは出来るのですが、使用したまな板包丁を洗うのが面倒くさいのですが。
 生きているのも面倒くさいぐらいですからネ。そして、16時前からスーパーに買い物に出かけましたが、今日も大阪は36.8℃の猛暑日でありむっとしていました。
 先ず、妻のお供え用にバナナ、桃,お花を購入して、白菜、カット野菜、豚肉、玉子、パン、ヨーグルトなど沢山を購入してきました。
 帰宅後に風呂を沸かして、17時過ぎから入浴をし、洗濯をして、夕食の準備です。準備が面倒くさいので、非常食のレトルトカレーを作りました。
2018年8月4日(土) 花火三昧
 昨夜も2夜目長岡大花火大会を録画して観ました。放送時間が3時間もあり,家事もする必要がありずっとテレビの前に居るわけにいかず録画したのでした。天神祭の花火から始まり,今日は大阪のなにわ淀川花火大会があります。水の都の大阪を代表する花火大会で,1時間ほどの間に2万発近い花火が打ち上げられるのです。
 しかし,今夜は今まで観たことのない埼玉県の荒川河川敷戸田橋花火大会もテレビで放映されるので,大阪の花火は録画して観ることにしました。

 私はこれまで,大阪はもちろん兵庫県京都府まで花火の撮影に出かけましたが,遠方に行くと帰路の混雑が嫌なので出かけなくなりました。そして,花火大会の撮影では良い撮影場所を確保のために午後3時頃から場所取りに行く人がいるようですが,とても今のような暑さには耐えられません。
 今日の大阪の最高気温は14:22に37.1℃となった猛暑であり,場所取りに出かけたら熱中症で死にます。

 これまでに一番近くで花火を撮影したのは,京都の宇治川花火大会でした。残念ながら2018年で花火大会の廃止が決定したのですが,私が打ち上げ会場近くの宇治川河川敷には16時過ぎに行きました。一人で行ったので,カメラをセットする場所を確保したもののトイレに行くのも大変でした。
 その場所は打ち上げ場所に近かったので,撮影に使用するレンズは17-40mmの広角レンズとしました。花火が打ち上がると,その破裂音が地響きとなったように体に感じ,火薬の燃える臭いも流れてくる場所だったのです。
 宇治川花火大会は源氏物語終焉の地・宇治を舞台に繰り広げられる花火大会でした。「源氏ろまん」をテーマに,数々の花火が宇治川の夜空を華麗に彩ります。紫式部に因んだ紫を基調とするスターマインや,源氏物語絵巻をイメージした歴史とロマンを伝える華やかな花火が,京都ならではの風雅な世界を堪能させてくれたのです。

 花火には撮影する花火観る花火があるのです。私の花火の撮影は打ち上げ1発目の花火の火を噴きながら上がる瞬間でシャッターを開き,花火が開き切った瞬間にシャッターを閉じます。このような撮影をすると,夜空に大輪の花が咲いた花火となり,肉眼で観る花火と感じが変わります。また,目では明るいだけの花火でも撮影では花火の色(炭素の燃える色)も再現できるのです。
 なお,マインスターのような速射連発花火は,見た目には豪華さがあるのですが写真では以前の画像と被さる(シャッター開放のため連続記録される)ので,綺麗に撮影できず観る花火なのです。特に,速射連発花火は硝煙が残るので綺麗な花火の花が開いても隠れるので撮影には不向きです。
 見物していても,花火が隠れるので,もっとゆっくり打ち上げたら良いのに勿体ないと感じることがしばしばです。

 特に,無風状態で連続して打ち上げられると硝煙で花火が見えなくなり,撮影できなかったことが数回あります。その点,宇治川花火大会は絵巻ごとに休憩時間があり,その間に硝煙が消えるので撮影には最適だったのです。
 花火も野鳥や花の撮影と同じく背景に拘りがあり,硝煙がない真っ暗な空が必要条件なのです。どちらか言えば,大阪のなにわ花火大会は観る花火に近いと思います。特に,今日の大阪の風は弱いので,どのような花火が見えるのか楽しみです。

 花火大会は,観客はぱらぱらと集まり始めるのですが,花火大会が終了すると観客が一斉に帰宅するので人出が多く殺人的に混雑します。従って,淀川花火大会では人出を割けるために離れた場所から望遠レンズでの撮影となるのです。
 宇治川花火大会では,最後まで撮影していると駅の改札制限をされるので大阪まで帰る時間を考慮してクライマックスまでに撤収する必要がありました。それで電車はぎゅうぎゅう詰めで,二度と行きたくないと考えさされました。

 最近ますます,睡眠の質が悪くなっています。特に1.5~2時間ごとの頻尿(腎不全による)なので連続して眠ることが出来ないのです。トイレに行くのも,非常に眠たくて自分自身の体調を恨みます。また,ベッドに戻っても直ぐに寝付けないこともあり,夢の続きを見るので寝た気がしません。睡眠時間は,1+1=2ではないのです。
 昨夜も午前2時過ぎに就寝しました。もっと早く寝たいのですが,夜は23時ぐらいから1時間足らずで尿意を催すので,寝る時間が遅くなるのです。このような状態が嫌なので,しばしば夜中に大声でため息ともつかぬ奇声を発してしまいます。一人暮らしの寂しさが,これを助長していると思いますが,他人から見れば”発狂した”と思われるでしょう。
 妻が自宅にいたら,ビックリさせるので奇声は上げないと思いますが。

 そして,何度もトイレに行ったので起床できたのは11時過ぎでした。それでも非常に眠たくて朝食を摂った後にテレビを観ながら1時間以上居眠りです。そして,14時となったのでやっと起床ですが1日は殆ど終わっています。このような生活なら,涼しくなっても野鳥や花の撮影(唯一の趣味)に出かけられないでしょう。ああ,こんな生活は嫌だ!

無意識に大きな声のため息に一人屋響く寂しき夏の夜
2018年8月3日(金) テレビが消えた
 昨夜はテレビ長岡の大花火大会を観ました。信濃川河川敷で2kmにも及ぶフェニックスという花火は壮観でした。日本一の花火大会だと思いました。
 今日は前日の睡眠時間が短かったので,10時間以上眠りましたが,まだまだ眠たく永眠したら気持ちがよいだろうなと考えてしまいました。
 実は,昨夜24時過ぎに胸が締め付けられるように苦しくて,その原因がわかりませんが,これが”狭心症”の症状なのかと不安になりました。
 非常に苦しいのです。本当に我慢できなければ救急車を呼ぼうかとも考え,このまま気を失ってしまっても良いかもとも考えました。いろんなことを考えていると,自筆遺言状および伝達事項は80%程度しか完成しておらず,このまま私が亡くなれば弟が困るだろうなと考えました。

 そのうちに苦しさが多少ましになったので,精神安定剤睡眠導入剤を服用して午前1時過ぎに就寝しました。
 遅い昼食後も眠いので横になりテレビを観ていると,金曜日にも通っている整形外科医院に行くのが面倒くさくなってきました。いつもの,面倒くさがりの性格が出たのでずっとテレビを観ていると,15時半過ぎにテレビの画面が真っ黒になりました。
 これは,現在選局している放送局の異常だろう,他の局にチャンネルを変えても”真っ黒な画面”なので電波の強さを調べてみると(リモコンのブルーのボタンを押す)とゼロになっていたのが原因でした。

 マンションにはJ:COM光ケーブルが引き込まれており,我が家ではテレビ,パソコン,電話とブースターを使用して分岐しています。そこで,パソコンのスイッチを入れてみるとインターネットも繋がらないので,テレビの電波異常ではありませんでした。
 ブースターが壊れたのかと外観を観ても異常が無く,J:COMに電話を入れて問い合わせをしようとしたのですが電話番号が判りません。
 私から,テレビとパソコンを取り上げたら自宅ですることがなくなるのです。そのうちに16時となったので,嫌々ながら整形外科医院に出かけることにしました。

 下に降りると,今日はマンションの納涼祭であり10名ぐらいの役員の方が準備をされているのですが,全員70歳以上の高齢者で汗を拭き吹き作業されている姿を見て頭が下がりました。整形外科医院に受け付け開始時間に行くと,既に老女達が待合室で待っており私の受付番号は11番でした。
 1時間ほど待ち診察室に通されましたが,私は昨日痛い増血剤の注射をうったのと,膝へのヒアルロンサンは更に痛いので医師に断ると,「膝の悪化防止には,月に2回の注射はした方がよい。」と言われたので,私は「あの注射は痛いので嫌いです。」と子供の返答をしました。すると,医師は「出来るだけ痛くないようにうちます。」と言ったので,了解しました。

 訴えたせいもあり,今日のヒアルロンサン注射は余り痛くありませんでした。言ってみるものですね。ええ年をした爺さんがねえ。
 リハビリを済ませてマンションに戻ると既に納涼祭りは始まっていました。チンドン屋が舞台でショーをしており,屋台も出ているので多くの家族連れが集まっていました。
 昔はマンションの敷地内に櫓を組んで,歌手を招いて盆踊りをしていたのですが,準備が大変なのと高齢化のために中止になりました。

 は賑やかなことが好きだったので,盆踊りで楽しそうに踊っていたり,納涼祭には飲めるので参加して抽選会では”スカ”ばかり引いてきていました。今年も抽選券が配布されていますが,私は参加しません。でも,妻が帰ってきてくれるのなら喜んで参加しますが。
 帰宅すると,テレビは映るようになっておりNET回線も繋がって良かった。

賑わいに笑顔で踊る妻がいた 盆踊りには姿見せれじ
夏の夜ににぎわう屋台納涼は一人暮らしの寂しさませり
楽しげな家族の姿溢れてる納涼祭の参加はできじ

 いつもの下手な短歌ですが,この時期にしか詠めない哀歌なのです。老人しか,この歌の意味は理解できないでしょう。
2018年8月2日(木) 好転せず
 今日は11時から総合医療センター腎臓内科の診察日です。診察の1時間前に採血採尿をする必要があるために,目覚まし(携帯)を8時にセットしました。ますます腎不全が酷くなっており,自由な日に出かけられるのも残り少なくなっています。少しでも,腎臓を持たそうと毎日厳しいタンパク量,塩分,エネルギーの管理をして侘びしい食事を摂っていますが,もう限界なのです。
 ただ単に,妻に先立たれた老人ではなく腎不全を始めいろんな病気を持った老人なので,生きる目標をなくすのは当たり前でしょう。

 昨夜は午前1時過ぎに就寝して,8時に起床するつもりだったのですが今日の検査結果が気になるのか6時前に目覚めてしまいました。未だ早いので,8時まで寝ようとしたのですが精神が高ぶってしまい眠れません。これも,気弱が原因する精神の病気です。

  9時過ぎに自宅を出ましたが,病院までバスで行ったため病院到着は10時前でした。早速採血室に行き血液検査と尿検査を行いました。
 血液検査では看護士から「血が止まりにくいことはないですか。」と聞かれたので,「血液をサラサラにする薬(整形外科で処方)を服用していますが,血の止まりは悪くないです。」,「判るのですか?」と質問しました。すると,「サラサラの血液が採血されているので判ります。」,「止血用のテープを2重に貼ります。」と,これまで何度も採血しているのに初めて言われました。

 そして,朝食抜きでの検査だったので1階のカフェ・喫茶でコーヒーとサンドイッチ(出来るだけ塩分の低い)を食べました。
 11時過ぎに診察室に呼ばれ,先ず血圧を計ると正常範囲でしたが,自宅での血圧測定で上が100を割ることもあるので,降圧剤の服用量を減らすことになりました。
 次は問題の血液検査の結果なのですが,クレアチニン(Cre)の値は悪いまま安定しておりBUN(尿素窒素)が高い値となっていました。高価な利尿剤を服用して,これほど神経質な食事制限を行っているのに,効果が見られません。やはり腎不全は絶対に治らないのです。

 医師からは「このままで様子を見ましょう。」と言われました。また,血液検査の結果で先月同様に”貧血”となっているので,入院中に続いて4回目の増血剤の注射を行うことになりました。
 処理室に行くと看護師から,以前と同じように「この注射は痛いですから,ゆっくり打ちます。」と言われ,長い間針を刺されました。痛い!痛い!と言われると,ビビリの私はより痛くなってきます。しかし,やっぱり膝に打つヒアルロン酸注射の方が痛いです。

 血液検査や増血剤の注射,高い薬代なので今日も1.5万円近い支出となりました。そして,4週間後は8月30日なので,8月の医療費は5万円近くなります。生活保護費より多少多い年金生活者にとって,この医療の支出は大きいです。

 12時過ぎに地下鉄を降りて,自宅まで約18分を歩いていると真夏の太陽が容赦なく私を攻めてきました。今日の大阪の最高温度は35.7℃の猛暑日でした。
 今夜は面倒くさいのですが,好きな麺類の玉子うどんを作りNHK長岡の花火大会を観ます。花火を観るのも好きで,撮影は大好きなのですが行けません。
2018年8月1日(水) 暑い8月の始まり
 昨夜は15年ぶりに南東の空に”火星”が大接近するとのことで21時過ぎからベランダ越しに夜空を眺めていると,明るい星を見つけました。
 別に天文学に興味があるわけではないのですが,もう次の15年後はこの世にいないはずであり見納めだと思いました。

 私は花や野鳥だけではなく,珍しいものは何でも撮影したいのでベランダにカメラをセットすることにしました。大砲レンズの500mmは重くて売却してしまったので,400mmレンズに2倍のテレコンを装着して野鳥撮影用のカメラであるEOS7DMarkⅡ(センサーはAPS-Cなので1.6倍)に取り付け,3脚セットし35mm換算で1280mm(倍率では25.6倍)で撮影することにしました。

 火星は地球の半分ぐらいの大きさで,大接近と言っても6000万kmと言う天文学的数値?の距離があるので1280mmレンズでも針の穴のような小さな点でしか見えません。赤い火星が見られるかもと楽しみにしたのですが,撮影できた画像は単なる””でした。

 今日は10時半前に起床したのですが,8時間寝たつもりでもトイレにばかり行くので睡眠が短いのと,いつもの悪夢(リアルすぎた)で寝覚めが悪く眠たくてたまらなかったのです。
 なお,今朝の体重は久しぶりに最低記録の57.5kgとなっていました。昨日,長距離を歩いたせいでしょうか。

 今日は何もする気力もなく,朝食後にテレビを観ながら居眠りをして起床したのは13時半を過ぎていました。今日から暑い8月の始まりですが,昔から8月は夏の終わりとあって物悲しかったのですが,妻が亡くなってからは盆と妻の誕生日があるので,悲しく・寂しい月になりました。
 10時間は寝たつもりなのですが,精神的に暗く不安感から胸が締め付けられるので,昼間から精神安定剤の服用です。この薬は,妻にすい臓がんが見つかり私は精神的に耐えられなくなったときに腎臓内科の医師に処方して貰った薬であり,大げさに言えば私がこれまで狂わずに生きてこられた薬なのです。
 月に数回しか服用しなくなったのですが,服用期間が長いので効果が少なくなったような気がします。でも,服用するとそれだけで安心感があるのです。多分,単純な私にはメリケン粉を高めた物を「精神が非常に安定する薬です。」と言われたら,それだけで効果が出ると思います。

 16時前から自転車でスーパーに出かけましたが,今日も大阪の最高気温は34.9℃で猛暑日ではなく,湿度も58%と比較的低かったのでむっとする蒸し暑さは感じませんでした。
 スーパーでは米(魚沼産コシヒカリ)が無くなったので2kg入りを購入して,ポテトサラダ,減塩ハムやベーコン,カットサラダ,ほうれん草を購入して,鮮魚売り場で以前いつ食べたか忘れたほどのサーモンの刺身(4切れ)も購入しました。ついでに,少し少なくなってきたゴールドブレンドの詰め替え用とマーマレードのジャムを購入すると支払いは4000円を超えました。

 夕食はサーモンの刺身(58g・・・タンパク11gと多い),ポテトサラダ,野菜サラダ,そして昨日の残りのハム玉子入り野菜炒めと豪華な食事でした。しかし,夕食だけでタンパク量は24.8gとなりましたが。